secret news − side KITA −


行きかう人々が満たす粛々とした喧騒の中、俺は切り取られたみたいにぽつんと座り込んでいた。
やるべき事は沢山あり、何をした方がいいのかも考えられるのに、それをやろうと気を奮い立たせるまでに気持ちが動かない。
誰かが声を掛けてくれれば、立ち上がり仕事に戻るのに。
「・・・・・・」
いつの間にか縫いついていた床への視線を瞬きで断ち切り、手中のミネラルウォーターへと移す。
腫らさないようにと、同じく泣いたはずのヤスがくれたペットボトル。
号泣したわけでもないし大袈裟だと思ったけど、それを目に当てて少し休めと黒ぽんに言われてしまえば従うしかなかった。

ライブでもたまにあるように、歌を歌っている途中で感情が高ぶって涙が出てしまった。
自分で気が付かないだけで思ったよりも動揺しているらしい。
何とか歌い終わって裏に引っ込むと俺だけ楽屋で休むように薦められ、ぼうっとしたまま戻ってきてしまっていた。
他の三人は関係者やファン達の対応に追われている。
ヤスも泣いたから心配はされていたが、式が始まる前の鬱々とした表情など見せずにいつものヤスで大丈夫だと言った。
今朝とは逆転した立場に少し情けない思いが漂う。
自然と苦笑が漏れ、ミネラルウォーターの蓋を開けようと持ち直し捻った。
ふと視界の端に映ったものに目をやる。
ローテーブルに畳まれ放置されている新聞。その見出しは勿論。
「・・・てっちゃん」
連絡は突然で、失踪、事故、事件、あらゆる可能性を考えた。
一昨日警察から発表を受けたときも、酷く頭が冴えて冷静にこの後、この先どうするかを算段していたと思う。
クリスマスのイベントはどうするか。
この先のゴスペラーズはどうするか。
歌は。『仕事』は。
てっちゃんは本当に死んだのか。
スタッフ達と打ち合わせをしている時も眠気に誘われず、淡々とライブの打ち合わせのような態度だった。
そうやって、いざ本番で感極まって泣いていたんじゃ仕方ない。
開けたペットボトルに口を付ける。

I with you どんなときも
I with you どこにいても

音を調整する位置に居るからじゃない。
クラシックをやっていて聴力が鋭いからじゃない。
愕然とする程の大きな穴が、コーラスに、声に、存在に。
それに歌いながら気づいてしまい、溢れるものを止める事が出来なかった。



カチャリ、と静かに部屋のドアが開き黒ぽんが入ってきた。
「北山、そろそろ移動だって」
その言葉に驚いて、備え付けの時計に目をやれば最後に時計を見た時からかなりの時間が経っていた。
長い時間思考に浸っていたらしい事に気づいて、苦笑した。
「大丈夫かぁ?」
「うん・・・、大丈夫だよ」
心配そうに黒ぽんは近寄ってくる。そして声を潜めた。
「向こうに着いたら、確認だから」
向こうとは火葬場。確認とは『村上てつや』の遺体が本物かどうか。
一昨日から今朝に掛けて何度も打ち合わせした結果の確認法だった。
「うん。・・・・・・そういえば誰が言い出すの?」
裏の事を知っている者達が、そうでない人達に怪しまれないように確認しなければならなかった。
事件絡みがまだ捨て切れていないので、警察が遺体に付いて回っている。
内密に迅速に確認が必要だった。
「安岡がやるって。それを俺達が後押しするって形」
ごく自然な流れで、仲間内で浸りたい事もあるという雰囲気を出して。
ゴスペラーズの誰かがこう言う。



「あのさ・・・少しだけでいいんだ・・・、俺達“ゴスペラーズ”だけにして貰えないかな・・・」
日がとっくに暮れて時計は九時過ぎをさしていた。
打ち合わせの台本通りのヤスの言葉に、俺達も頷く。
火葬場の控え室、広くない部屋にスタッフや事務員や警察の人、そして棺おけが詰まっていた。
事情を知っているスタッフ達の促しもあり、あっさりと人が出て行く。
「では、三十分後には出棺しますので・・・」
火葬場スタッフの声に各々反応し、閉まったドアを確認した。
瞬間、みんなの顔が引き締まる。
ユージが黙ってドアへ近づき、外を窺い、オーケーだと視線を投げてよこした。
それに頷いて、傍のヤスがおもむろに棺おけを開けて、俺は隠していた資料を取り出す。
すでに数度見ているが、何度見てもその物体は自分のよく知る男とは結びつかなかった。
辛うじて人の形をしており、黒く墨のような部分とところどころに嫌な色を残した死体。
黒ぽんもヤスも同じく顔をしかめると、いい?とこちらを向いた。
それに頷こうとしたら、
「シッ!」
ボイスパーカッションのようなユージの声が飛んできて、部屋に緊張が走った。
ユージの顔色を確認する前にヤス達は蓋を元通りにし、俺は小さな書類を隠した。
すぐさまコンコン、と遠慮がちなノックが響く。
一拍置いて、ユージがドアを開けた。
「・・・ハイ?」
長身なユージの出迎えに、スタッフが驚いて申し訳なさそうに頭を下げる。
「本当にすみません、あの、お焼香したいっていう人が来てまして・・・」
俺達は揃って怪訝な顔をした。
裏の事情を知っているはずのそのスタッフは恐縮したように、廊下の向こうとこちらを窺う。
「あー・・・申し訳ないんだけどさ、後にしてもらえないすかね」
事情は知ってるだろ?と言わんばかりにユージが返したが、そうなんですが、とスタッフは食い下がる。
俺達は少し視線を交わした。黒ぽんが不思議そうに首を傾げながらスタッフを見た。
「誰なの?」
聞くと彼は何故か慌てた様子でまた廊下を一度見やると、ボリュームをかなり抑えて言う。

「あの・・・村上さんの、彼女、だと・・・言ってるんですが」
俺は目を見開いた。
そして同じく驚いた風のヤスが口を開く。
「ファンの子じゃなくて?」
村上の遺体を見たいがために嘘をついているんじゃない?と言外に含ませた言い方をした。
あまりよくない疑い方だと思うが、実際そういう娘も居たりするから自然とそう考えてしまう。
スタッフもそれは承知のようで頷く。
「僕もそう思ったんですけど・・・」
一段と彼のトーンが低くなる。

「パスを知っていました」
パス、と口の中で呟く。
パスワード。裏を知っている者が確かめ合う時に使う合言葉の事だった。
一介のファンが嘘を付く上で知っているはずのないものだ。
全員の顔に緊張が浮かび、中でもより表情を険しくしてユージが振り返って、どうする?と目配せをする。
「・・・・・・通してみる?」
自然と集まった視線の先の黒ぽんが手を顎に当てながら、小さく言う。
問われるように向けられた視線に、少し考えて口を開いた。
「本物だとして・・・てっちゃんがパスを教えたとは思いにくいけど・・・」
そうなんだよね、と黒ぽんが頷く。
俺の頭の中で可能性がピックアップされていくが、どれも憶測に過ぎず答えは出ない。
「探ってみようよ、どっちにしても怪しい事には変わりない」
棺おけの反対側に立つヤスの提案に、俺達は頷いてユージに向く。
「じゃあ、お願いします」
ユージがスタッフに言い、彼は了解するとドアを閉めてその『彼女』を呼びに行った。


ほどなくして、『彼女』が現れた。
スタッフには席を外すように言って、ドアを閉める。
頭を軽く下げ、入室した伏し目がちの女性は予想外に若く見えた。
密室になった部屋に、男が四人、女性が一人、棺おけが一つ。
何も言わない俺達に、彼女は少し戸惑った様子で視線を上げて見渡してきた。
「えっと・・・、お焼香上げたいって聞いたけど」
黒ぽんが一歩寄って聞くと、はい、と声が返ってくる。
礼儀のように、黒ぽんは頭を下げて俺達もそれに倣う。
「こんな事聞くのもあれなんだけど・・・村上の恋人だって本当?」
少し笑んだまま遠慮がちに尋ねる。
「はい、てっちゃん・・・いえ村上さんとお付き合いをさせて頂いてました」
「へぇー、俺知らなかった。黒ぽん知ってた?」
ヤスが大袈裟に驚いて笑った。
「知らなかったよー、アイツこんな若い娘と付き合ってたなんて」
「俺も全然気づかなかったな・・・。失礼だけど、歳はいくつ?二十歳くらいかな」
低く声を響かせて俺が喋ると、何かビクリと彼女は警戒したように一歩下がった。
不思議そうにする俺に彼女は手を振ってなんでもないと示す。
「すみません、えっと、今年で22です」
「ひゅー、若いね。ほらてっちゃん、彼女が来てくれたよ・・・、あ、名前は?」
あくまでも自然な振りで、ヤスは軽く棺おけを叩く。
その軽さに彼女は手を口元に当てて少し笑った。
と言います」
ちゃんね。お焼香、どうぞ。いいよね黒ぽん」
「あぁ。村上の彼女だもんなぁ、村上も喜ぶよ」
笑顔で促すと彼女――ちゃんは棺おけを回ってヤスの傍まで行き、簡易なお焼香を上げた。
ユージはさっきから壁に寄りかかったまま彼女の動向をジッと見つめている。
ちゃんが手を合わせている間、静かな沈黙が部屋におりた。
「死体は・・・見ない方がいいよね。ニュース見た?」
顔を上げた彼女に、ヤスが気安く話しかける。
「あ・・・、はい、昨日のニュースで知って・・・」
「あのさ、突っ込んだことを聞くけど・・・てっちゃんとはどのくらい?」
「・・・・・・一年くらいです」
一年、全員が軽く驚く。
実はてっちゃんは特定の彼女を持たない事をポリシーとしているような人だった。
居たとしても数ヶ月も持たず、大抵は身体だけの関係の女性を渡り歩いているような、そんな男だった。
危ない裏の組織に属しているというからというもっともな理由を言っていて、ただだらしないだけだと笑った覚えがある。
そして、この一年の間も彼のポリシーは変わってないように見えたし、現に見るたびに変わる女性達を目にしている。
どういう事だろう、と不思議な顔で彼女を見やると、目が合った彼女は少し苦笑した。
「秘密の関係・・・とかてっちゃんは言ってました」
「秘密・・・」
「はい」
彼女の隣りに立つヤスを見る、彼も眉を潜めて話を測りかねているようだった。
秘密の関係・・・、黒ぽんにすら悟らせないような関係?
どういう事だろう、とまた心中呟いて、表の行動と彼女の存在を持つ当人の村上てつやに嘆息を漏らす。

そっか、と朗らかな声がした。
「村上は俺達にも教えたくないくらい、君を好きだったんだね」
黒ぽんが相変わらずの微笑みを浮かべてそんな事を言った。
「え・・・」
思ってもみない事だったらしく、彼女は黒ぽんを驚きの瞳で見返した。
「俺、結構村上の女性経歴知ってるつもりだったんだけどね、君の事は知らなかった」
「・・・・・・」
「だからきっと村上はそれくらいちゃんを愛してたんだと思う」
なるほどな、と一つ頷いてしまった。有り得なくはない。
俺達はこんな『仕事』をしているから、容易に彼女作る事が出来ない・・・というのは個人個人だけど。
一人の女性を一生守り続ける事の難しさと、相手の事を大切に考えるからこそ、本気で愛する女性には距離を置いてしまう。
少なからずその傾向はメンバー誰にでもあった。
その事を全て理解した上で、黒ぽんは結婚し、今年の夏にはヤスも家庭を持った。
その兆候は勿論マチマチで、黒ぽんはてっちゃんに散々相談したらしいし、ヤスにいたっては数年越しのゴールインだった。
だから、てっちゃんがそういう風に一人の女性を愛していたというのも至極頷ける気がした。
かわるがわる連れていた女性は全てカムフラージュだったというわけか。
「てっちゃんらしいかもね」
呟いた言葉にヤスが笑う。
「ホントにねぇー。なんだかんだ言ってそーいうとこホントにロマンチストというか・・・」
「『秘密の関係』だもんね」
「シークレット・ラブって?好きそうだよね」
俺とヤスのやり取りに黒ぽんが声を上げて笑った。
ただその様子を彼女だけは呆然とした表情で眺めて、困ったように俯いてしまった。
それに気づいて笑いを収め、ヤスと俺は無神経だったと謝罪した。
彼女は慌てて手を振る。
「・・・あの、私はそろそろ・・・」
そう言って、複雑な笑みを浮かべて彼女は頭を下げる。
それにつられてお辞儀を返したものの、帰していいものか少し判断に迷った。
黒ぽんも同じ心境のようで、曖昧に微笑んだまま適当な会話をしながらドアまで付いていった。
「では、失礼します・・・」
最後に一度お辞儀をした彼女に、いえいえ、と微笑んで返す。
すると全然喋らなかった男が壁から背を離し、彼女に近寄った。その形相には少し怖いものがあった。
「あの」
ドアを開けようとしたところを呼び止められ、彼女は振り向く。
「・・・はい?」
「・・・・・・パスワードは・・・村上から?」
触れるに触れられなかった直球な質問に、俺は内心ひやりとした。
彼女はユージの真剣な表情から、困ったように目を伏せて、はい、と返事をする。
「そうです」
「その・・・パスの意味を知ってましたか?」
「・・・・・・いえ、知りません」
「知らない?」
「はい・・・。でも自分に何かあったら事務所にそう言えって言われて・・・」
「・・・・・・」
ユージが眉を寄せているのが分かる。
俺達がやっている真実を打ち明けるのにはとてつもないリスクと覚悟がいる。
相手の拒絶や秘密性を考えれば当然の事だ。
ヤスは自分の事を知っておいて欲しいという理由で奥さんに打ち明けたらしいが、黒ぽんは今でも内緒にしているらしい。
その辺りも個人の考え方によるもので、どちらが良いのかは俺には判断つかない。
「そう、ですか・・・。ありがとうございます」
ため息と共にユージが一歩下がってお辞儀をした。
彼女はまた困った顔をした。彼女にどういうことかと聞かれてしまえば俺達は誤魔化さなきゃいけない。
「いえ・・・、では失礼しますね」
ところが彼女はユージの不審な言動に何も触れずに少し微笑んで、頭を下げ部屋を出て行った。


パタンと静かに閉まったドアを見つめて、数秒。
彼女の微笑みが脳に引っ掛かって、どういう判断をすべきか逡巡する。
彼女が本物のてっちゃんの恋人であれ、どこかの偽者であれ、どちらにしろ聞くべき事はある。
普段であれば会話の中でさりげなく聞くのに、今回ばかりは勝手が違ったせいかすっかり失念していた。
そして短い思考の末、今彼女を追いかけないと後悔しそうな気分になった。
「ちょっと、連絡先聞いてくる」
思い立った瞬間に足はすでに動いていて、少しばかり驚いた風に振り返るユージにてっちゃんの資料を手渡す。
時間は刻々と過ぎているので、てっちゃんの遺体確認を頼んだ。
「だいじょぶなの?」
「どちらにしても聞いといて損はないでしょ」
警戒するように眉を潜めるヤスに、至極当たり前だと表情で返し部屋を出た。
女性相手に何かを聞きだす役目は大体決まって俺に回された。
勿論相手にもよるが、俺は自分で言うのもあれだけどどうやら女性に警戒心を持たれにくい質のようなので。
てっちゃんの恋人とされる女性に対して連絡先を聞くのに、今の状況なら一番最適なのは俺だろう。
妻帯者の黒ぽんやヤスでは表向きに色々あるし、ユージはもとよりこの手の探りには向いていない。
冷静に判断してくれる頭に僅かに安堵して、短い廊下を軽く走り、突き当りを出口の方へ折れた。
すると、すぐそこに彼女は立っていた。
後姿を発見できるであろうと思っていたので、彼女が立ち止まっていた事に少なからず驚いた。
「あ」
彼女が顔を上げ、とても驚いたように俺を見た。
そして咄嗟に手に持っていた物をしまった。
それは、携帯だった。


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