Leaf news −side other−
「・・・ん、うまい」
男がきちんと言葉を発したのは、それからしばらく経ってからだった。
あれからテレビを食い入るように見ていた男に座るように促したが、他に会話が生まれなかったので、昼食に取り掛かった。
自身は遅い朝食だったため空腹は感じないが、男は腹ペコだろうと思いそう聞くと、あぁ、と素っ気無い適当な返事が返ってきた。
早めの昼食を作った。
自分の分以外のご飯を作るのは本当に久しぶりだ、と野菜を炒めながら思った。
ソファに座った男はには全く目をくれずに、リモコンでチャンネルを変えながらニュース番組を追っている。
情報を見逃さないように、自分の置かれた状況を把握するように。
間もなくしてテーブルにヤキソバとスープが並ぶ。
男はリモコンを置いて、スープに口をすすっている。
果物ナイフはテーブルの端に置かれていた。
「良かった」
が微笑むと、彼はテレビの音量を少し下げ箸を手に持った。
そして、口を開く。
「俺は・・・あー、村上てつやだ」
言って、ヤキソバを頬張った。
ニュースではまだ新しい事は分かっていないが、どうやら歯型の鑑定が進んでいるようだった。
今日中に鑑定結果が出るだろう、と。
「俺を知ってたか?」
「いえ・・・。音楽聴かないもので・・・」
紅茶を淹れてソファの向かいにクッションを敷いて座った。
男―――村上はを見て、僅かに口角を上げまたヤキソバに視線を戻した。
「聞きたいことがあれば聞いていいぞ」
「え・・・」
「答えられる範囲で答えてやる」
聞いても何も答えてくれないと思っていたが少し驚く。
「・・・いいんですか?」
「ホントは駄目だけどな。どうせ誰かに話したって本気にする奴は居ねぇだろ」
「はぁ・・・」
「後で誰にも漏らさない、っつー確約書みたいなモンを書かされるかもしんねーけど」
スープをすすって、それでもいいか、とを見た。
それにぎこちなく頷いて、気を取り直すように紅茶カップに口を付ける。
聞いてもいいと言われるとかえって何を聞こうか困る。
目の前の男を見て、テレビを見た。
事務所へ急ぐ男の人がカメラに追われている。買い物前見た人とは違うから遅れて来たメンバーだろう。
焦ったような表情でレポーター陣を交わしながら事務所へと入っていった。
「アイツ・・・また寝坊か」
村上が漏らして低く笑った。テレビのテロップには『酒井 雄二』とあった。
「あ、あの・・・村上、さん?」
「あ?」
「・・・・・・連絡、しなくていいんですか?事務所とかメンバーの人に」
聞くと、あー、と少し渋い顔をして髪を掻き揚げた。
「今は、出来ない。居場所がバレる。俺の」
「バレちゃいけないんですか?」
「あぁ、今はまずいな」
ニュースが変わる。それを見て、またチャンネルを回した。
新しいニュースは入ってこない。
「・・・ニュースで言ってる、村上さんの車にあった遺体は・・・」
「誰か、か?多分・・・俺を襲った奴だろうな。携帯も奴らに取られたし」
遺体から村上本人の携帯が見つかった、とニュースでも言っていた。
遺体の損傷が激しくて見た目では本人かどうか分からないが、背格好は似ているなどとも言われていた。
「でも、いくらなんでも・・・鑑定で違う人だって分かっちゃうんじゃあ?」
この質問に村上は箸を止め肘を付いて眉間に皺を寄せた。
「・・・警察での歯型鑑定なら、きっと“あの死体の歯型は村上のものだ”っつーことになるだろうな」
「え?」
「多分もう俺の通ってた歯医者の俺のデータは書きかえられてる、ってことだ」
まさか、とが言いかけたのを村上は分かっているように食事を再開しながら言う。
「情報の書き換えなんざ、社会では当たり前。人の生死だって所詮書類上で自由自在だ。理論的には、な」
「・・・・・・」
唖然とする。なにか、とんでもなく常識が違う気がする。
「書き換えによって、“村上てつやの死体”が一体出来上がる」
「あ・・・、でも、DNA鑑定とかされたら?さすがにそこまで情報の書き換えは・・・」
「やれない事もねぇだろうけど・・・まぁ普通はそこまでやんねぇな」
「なら・・・」
「でも、今回は死体が燃えてるからな。しかも燃え方が激しい。細胞は死滅してるだろうよ」
ヤキソバを食べながらそんな事をサラッと言ってのける。
「じゃあ・・・どうなるんですか?ここに居る村上さんは」
「んー・・・どうなっかね・・・、最悪このまま裏の世界に引きこもるかもしんねぇな。そういう奴も結構多いし」
目を伏せてそう呟く。
ニュースでゴスペラーズの大まかな経歴を見た。十年続いたボーカルグループだと。
「・・・『ゴスペラーズ』はどうなるんですか?」
「・・・・・・」
村上は答えなかった。
美味かった、と黙ったままで昼食を食べ終えた村上が口を開いた。
は微笑んで、カップと皿を下げる。
「紅茶しかないんですけど、飲みますか?」
「・・・あぁ」
兄用の大き目のカップを取り出して、紅茶の準備をする。
食後の紅茶もいつもの習慣だった。
少し冷めた自分のも淹れ直した。
カップを二つ手にソファまで戻って手渡す。村上が小さくお礼を言った。
一口二口飲んだら、村上の傷に当ててあるガーゼを取り替えようという話になった。
救急箱と先程買ったガーゼを持って、村上の横に座る。
ベッドからではテレビが見えないので、ソファで処置を行う。
「なぁ、アンタ一人暮らしか?」
額のガーゼを取り、傷に消毒してると痛みに顔をしかめながら村上が聞いた。
「・・・なんでですか?」
「男、居んだろ?これの持ち主が」
にやりと笑って村上は自分の着ている服を示した。背の高い村上にも丁度いいくらいの白のロングTシャツ。
下はさすがにはばかれて汚れを落とすだけで、履き替えさせてはいないが靴下は脱がせた。
その右足には捻挫のための包帯が巻かれている。
村上の笑みに苦笑する。
「兄と二人暮しなんです」
「兄?・・・色気ねぇなオイ。アンタ何歳よ」
「22です」
「大学か?」
「はい。兄は・・・31歳です。あ、すみませんちょっと押さえててください」
新しいガーゼを軽く当てて、村上が押さえたのを手際良く医療用のテープで貼り付ける。
「ってぇ・・・。んで、その兄貴は?仕事か?」
テープを持って救急箱に振り返るの顔が曇る。
わき腹の傷を、と言って村上にシャツを捲くらせた。
「兄は・・・行方不明なんです。一年前から・・・」
空いてる方の手でカップを傾けていた村上の眉がピクリと上がる。
「・・・行方不明?家出とかじゃなく?」
「私達、幼い頃に両親が二人と死んでるので、私が大学出るまでは一緒に、って兄が・・・」
「・・・」
「警察にも言ったんですが、何も・・・」
目を少し伏せてが呟くように言う。
「・・・名前は?兄貴の」
「え・・・、陽介、ですけど。 陽介」
首を傾げて答えるに、村上は静かに、そうか、と頷いて紅茶をすすった。
それ以上は何も言わなかったので、も気にせずに手当てに専念した。
わき腹の傷を見て、テキパキと消毒をこなしていく。
「痛くないですか?」
「いてぇ。すっげーいてぇ」
「・・・病院行きますか?」
「・・・」
村上は黙ってカップに口を付けた。
くすりとが笑う。
「・・・手際いいな」
細い腰に包帯を巻きつけるを見下ろして、村上が言った。
「あぁ・・・、兄が。結構おっちょこちょいな人で、しょっちゅう怪我してきたんです」
「ふうん、とろいのか」
「そうかもしれませんね・・・、大人しくて優しい性格でした」
包帯を止めて、よし、とが一つ叩く。
「ぐぉぁ」
村上が変な声を上げて身をよじった。
「あ、すみませんっ」
慌てて謝るに、悲鳴に似た呻きだけが返ってきた。
昨夜洗いっぱなしだった洋服を思い出して、洗濯機を覗くが案の定村上の洋服の血のりは落ちきっていなかった。
のは洗濯が早かったからかなんとか血だと分からないほどに綺麗になっていたのだが。
どうするか聞いたら、素っ気無く捨てていいと言う。
「コートはどうします?」
村上の黒いロングコートを示して聞く。
さすがに洗濯機で丸洗いは出来なかったので掛けっぱなしにしてある。
「クリーニング出してみます?黒だから少し残っても目立たないと思いますけど」
自身のコートは風呂と一緒に洗ってみたが、茶色のコートに黒く染みついて落ちてくれなかった。
なので自分のはクリーニングに出してこようと思う、と伝えると、村上は少し困ったように苦笑して顔を上げる。
「いや、処分する。怪しいモンは足が付くからな。・・・アンタのも弁償すっから・・・、わりぃな」
気に入っていたコートではあったが、村上がそう言うのなら仕方がない、と諦めて丸めて袋へ突っ込んだ。
村上に履き替えさせられなかった下着とジーンズを履き替えるよう言って、やはり兄の物を履いてもらった。
その間ベランダへ出て自分の洋服を干した。
「何で俺がこんな目に遭ってるか」
唐突に村上が口を開いた。干す手を止めてソファの背もたれに腰を掛けている村上を見た。
「聞きたいだろ」
「・・・」
ニヤリと楽しげな笑みの彼を、唖然とした気持ちで見返す。
裏には裏の事情があるのだろうから、と深く追求するつもりはなかったのに。
「何でだろうとは思いますけど・・・、極秘事項とかじゃないんですか?そんな口軽くて平気なんですか?」
逆にがそんな事さえ気にかかるほどに、この男の物言いは軽い。
確かに疑問に思う事はある。
何故村上が襲われる必要があったのか、何故その襲った男が『村上』となってしまったのか。
けれど聞かなかったのは、それこそ裏には裏の・・・と思ったからで。それなのに。
の微妙な表情にクックックッ、と村上はやはり可笑しそうに喉を鳴らした。
「普段なら聞かれても答えねぇ。軽々しく口外して許されるモンでもない」
「じゃあ、」
「」
「・・・っ」
名前を呼ばれて、不意に息が詰まる。
本当にソックリなのだ。兄と。声が。
そんなの気持ちを知るはずもなく、村上は続ける。
「だったよな?にはやってもらいたい事があんのよ」
「・・・何を」
動揺を誤魔化すためにシャツをハンガーに吊るす。
「それは後だ。最初に呑み込んでおいて欲しい事がある」
そのためには、と僅かに声を低くする。
「俺らが何者かを知っておいてもらいたい」
「・・・・・・」
まただ、とは思う。
風貌だけなら威圧的であり、一見すればどこぞのチンピラのようである村上。
話してみれば軽い調子で、自分が裏に関わる人間だと明け透けに言う始末。
それなのに、何かの境界線を踏み越えた時だけ、目、声、雰囲気が低く、重たい、尖ったものに変わる。
『裏の顔』というものなのだろうが、それには差が激しく一瞬でを緊張させるものがあった。
硬くなったの表情を読んで、村上が薄く笑う。
「何でもかんでも聞いてくるような奴なら、適当にあしらうつもりだったんだけどな」
聞け、と言った彼の言葉には、人を試す意味が隠れていたのか。
聞きたい事を口にせずにいたのは正解ではあったのだ。
「俺が嘘をつかなきゃいけない質問が来た時点で、アウト」
「・・・それはどんな質問?」
「俺以外のこと」
真面目なのか不真面目なのか分からない笑みを浮かべた村上に、は苦笑して返した。
最後になったロングシャツを干し終えると、小さなカゴを持って部屋に入り、戸を閉めた。
改めて淹れた紅茶で冷えた体を温め、小腹が減ってきたので残りのヤキソバを温めた。
「なんか食いモンあるか?」
という先程昼食を食べ終えたはずの村上の訴えにも応え、野菜スープと食パンを出した。
ソファの下に座る村上の反対側に腰を下ろし、対峙するように食べ始める。
そしていくらかしないうちに村上は語りだした。事件の事、ゴスペラーズの裏の事を。
さすがに内部情報を詳しく教えるわけにはいかねぇが、と前置きを置いたわりに村上はよく喋った。
それが村上の言う内部情報という程のものでもないのかもしれないし、本当は漏らしてはいけない深いものなのかもしれない。
どちらにしてもには判断がつくはずもなく、黙って聞き、打つべきところに相槌を返していった。
「裏っつっても、パンピーが思うような程のモンじゃねぇ。実際はもっと地味なモンよ」
「地味・・・?」
「・・・俺らの仕事は、情報収集、伝達、操作、だな」
言われて納得した。
裏、と聞けばテレビドラマなどでよくある暗殺や銃撃戦のようなものを思い浮かべがちなのだが。
現代社会を考えれば、力になるのは銃などではなく、情報だろう。
「普通なら旅好きや出張の多いリーマンを装う奴がほとんど・・・でもそういう奴らはそこからバレる事ある」
「・・・バレたらまずい?」
「友達や恋人、家族にバレるくらいならまだいい。問題は他の組織にバレた時だな」
軽くハッとして息を呑む。
「そうならないよう、俺らみたいなのが出来た。下手に隠さずに堂々と全国回れるグループ」
何かを思い出すようにして細い目をさらに細めて笑う。
去年全都道府県でライブを行った、とニュースで説明していたのを思い返しては慎重に頷いた。
それはつまり、ツアーの会場先ごとに裏の仕事を行っていると告白したに等しい。
「初めはよ、それこそ売れなきゃ意味なかったし?まぁそれこそ必死だったわけよ」
苦く楽しそうに笑んでいる。
組織とやらの援助があったにせよ売れるとは限らない。実際ゴスペラーズは無名の方が時間が長い。
売れなくても営業で地方も回るから結成当初から『仕事』もこなしていたらしいが、それにしても無謀だとは思う。
一般に木の葉を隠すなら森の中と言うが、村上の言が本当なら組織は木の葉を隠すための『森』を作ろうとしたのだ。
そしてそれは村上達の努力も込んで成功し、今に至るというわけか。
は自然と苦笑した。
―――なんて気の長い、そして気が遠くなるような計画。
そう素直に言うと村上はパンを大きな口で齧りながら肩を揺らした。
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