disturbing news −side other−
朝、寒さに震えて目を覚ました。
「・・・あー・・・寝ちゃったんだ」
ソファに丸まってクッションを無理矢理布団代わりにして寝ていた。
暖房を付けっぱなしだったためクッションだけでも寝入ってしまったのだろう。
弱にしてある暖房は朝の冷え込みにはいささか寒い。
「んー・・・」
一度大きく伸びをして、思い出したように振り向く。
暖かい空気が流れるように開けっ放しにしていた引き戸の向こうのベッドに、変わらず男は横たわっていた。
「・・・はぁ」
一瞬、夢だったのかも。と淡い期待を抱いたのだが、どうやらそういうオチではなさそうだった。
今日中には男は目を覚ますだろうか。出来れば今すぐにでも覚まして欲しいのけど。
時計を見る。
「八時、かぁ」
当然まだ寝たりなさはあるが、それでも起きてしまったのだから再び寝るのは躊躇われた。
なるべく男が起きた時に自分が起きていたいのもあり、深夜中作業していたせいか空腹具合も絶頂だったためだ。
そう思うと、立ち上がってテーブルにそのままになっていたカップを持ってキッチンに向かう。
ついでにテレビを点けた。
「あーあの人にも何か作った方がいいかな」
独り言を呟きながら冷蔵庫を覗く。
自分は昨日買ってきた食パンとプリンで朝ご飯は十分足りる。
紅茶を淹れなおそうとポットを洗いながら、男用にスープでも作ろうかと考える。
風邪ではないが、消化の良いものに越した事はないだろう。
紅茶ポットにお湯を注いで、パンを焼いている合間に男の様子を窺う。
手当てが幸いしたのか苦しんでいる様子もなく静かに寝ていた。
「・・・」
本当に静かに寝ているので、思わず死んでるのではないかと心臓に手をやる。
シャツ越しに微かに心音と、よく見てみれば胸部が呼吸で上下しているのが確認できる。
少しホッとして、パンが焼けるまでの間お湯で絞ったタオルで顔と首周りを拭いた。
男の外見は髪は全体的に少し長めで肩に付くぐらい。長身で、無駄な肉がなく引き締まった体つきをしていた。
身内でない人の体を拭いてやっている事がとても不思議な気分になる。
トースターの機械音に呼ばれて、布団を掛け直し、リビングへ移動する。
慣れた手つきでパンを皿に乗せ紅茶カップを手にして、ソファの前のテーブルに並べる。
マーガリンを冷蔵庫から取り出して、ソファの前に座った。
「いただきます」
いつものように軽く手を合わせた。
『なおこの車は―――』
テレビから朝のニュースが流れる。
昨夜おばさんが言っていた車の事故のニュースか、とパンを齧りながらテレビ画面を見た。
『歌手、ボーカルグループ、ゴスペラーズのリーダーである』
「・・・」
『村上てつやさんの車ではないかと、ただいま関係者が―――』
レポーターが現場前で中継している様子からパッと画面が切り替わり、
「・・・あ」
ジャケット写真だろうか、それのサングラスを掛けた男が『村上てつや』という説明と共に映し出された。
思わず勢いよく立ち上がって画面とベッドで寝ている男を見比べる。
サングラスを掛けていない映像が映されないため確信は持てないが、村上という男とベッドの男は、非常に、似ていた。
レポーターの画面に戻る。
『運転席からは焼死体が見つかっていまして、それがゴスペラーズの村上てつやさんではないかと―――』
「・・・・・・は?」
ソシャクも忘れてパンの塊を咥えたまま、かなり怪訝な声を出した。
もう一度ベッド上の男を見て、画面を見て。
気持ちを落ち着かせるように座りなおして、口の中のものを紅茶で流し込み、ニュースを見入る。
中継に映る事故現場は悲惨なもので、緩いカーブ沿いのポールと壁に刺さるようにして衝突している。
それがさらに爆破し炎上したらしい。
今はブルーシートで覆われているが、道路に付いた跡からカーブ直前で思い切りハンドル操作を誤った様子が窺える。
中継が終わり画面がスタジオに切り替わると、リモコンでチャンネルを変え、他のニュース番組を見入る。
『関係者の話によりますと、村上さんとは連絡が取れず、家にも帰っていないということです―――』
『昨夜打ち合わせが終わり、十一時頃村上さんは自分の車で―――』
『遺体の損傷が激しく、外見だけでは村上さん本人かどうか判断できない状態だと―――』
番組によって歌のプロモーション映像が映し出される。右下に『ひとり』とあったり『ミモザ』とあったり。
事故関連のニュースの間はジッと見入ってしまいパンを持つ手が動かない。
そのせいで朝食を食べ終えるのにいつもの倍以上の時間が掛かった。
食後の紅茶もいつもよりも長い。用事のない休日で良かったとニュースを眺めながら思った。
『ゴスペラーズのメンバーのコメントが―――』
忙しなく事務所へ歩く男の人にマイクが向けられる映像が映る。時間を見る限りほんの三十分前だ。
テロップには『黒沢 薫』とある。神妙な面持ちで足早に歩いているのが分かる。
「まだ何も・・・、僕も今さっき事務所から連絡あったばかりで・・・」
そんな様子で他にも二人ほど同じようなコメントでメンバーが映された。
「・・・」
何か分かり次第また速報でお伝えします、とレポーターが言ったのを聞いてテレビから目を離した。
ニュースで伝えていた事故現場は予想以上にすぐそこで車で行けば三十分かからないくらいだ。
夜十一時に打ち合わせ場所を出たという事は、時間的にもそんなにズレはない。
「・・・・・・」
よく似ていると思う。けれど今ベッドで寝ているのが本人だとしたら車で死んでいたのは誰だろうか。
そして何故警察や救急車に連絡してはいけないのかが分からない。
何かのトラブルに巻き込まれたとしても、事務所にくらい連絡しても良さそうなものだが、それもしていないようだ。
それとも寝ている男はただの他人の空似だろうか。
それにしてはタイミングが良すぎる気もする。事故があった近くで、わけありの人が傷を負って道端で倒れているなんて。
冷めた紅茶を一口飲んで、時計に目をやる。
考えても一向に答えは予測の域から出ず、さらにその予測さえ上手く形にならないでいた。
「十時・・・」
ほとんどのニュース番組が朝のニュースラッシュから奥様向けの相談トーク番組に変わる頃だ。
チャンネルを一回りさせたが、これといった新しい情報はない。
『警察では今のところ不審な点はなく―――遺体の歯型によっての鑑定を急いでいます』
女性アナウンサーの言葉を聞いて、テレビを消した。
「薬局開いてるかな・・・」
男の手当てをしたらガーゼがなくなってしまったのだ。
朝食の後を流し台に運んで、軽く洗いながら考える。
ドラッグストアは自転車で十分くらいだし、男はまだ目を覚ましそうにない。
洗い物を終えて男の様子を覗く。
「あー・・・やっぱガーゼ必要だ」
固まってはいるものの少し薄黒く染み込んでしまっている。変える必要がありそうだ。
もう一度男の心音を確かめて、部屋着を着替えると暖房を消して部屋を見渡す。
「・・・起きたら困るし」
そう思ってソファの前のローテーブルに書き置きを残した。
『昨日貴方を拾いました、すぐ帰ってくるので寝ていてください』
色々と試行錯誤してみたが適切な文章が何なのか浮かばず、結局そんな文章になった。
「・・・・・・ま、いっか」
そう言うと男が寝ているのを確認して、部屋を後にした。
「昼ご飯何にしようかなぁ・・・あの人もスープだけじゃ足りないかなぁ」
小さく呟きながらしっかり鍵を閉めた。
昼食の材料も買う事に決めたため、マンションの横にある駐輪場で自転車を出した。
まずドラッグストアに行き、ガーゼを大量にと包帯、傷薬を買った。
カゴに荷物を入れて自転車を走らせる。
スーパーがあるのは駅の方面で、少し掛かる。といっても十分くらいだ。
その道すがらクリスマスの装飾がされた家々、店先を通り過ぎる。
「・・・・・・」
―――もう、一年経つんだ。
どこからか流れる陽気なクリスマスソングを聴きながら、白い息を風に流した。
スーパーでも手短に買い物を済ませ、急いでマンションへ帰る。
買ったのは昼食のためのヤキソバ。多めに作れば夜も食べられる、と考えながら自転車を漕ぐ。
ふと、視線を上げると、道を沿う塀の上に見慣れた猫が居た。
「ノラ」
呼ぶが、昼寝をしているのか反応がない。
気まぐれなノラに肩を竦めて視線を戻すと、そこが昨夜の場所だと気づいた。
行きはドラッグストアに寄るため違う道を通ったから思い出さなかった。
昨夜男を拾った路地裏は明るい元で見ると印象が少し違った。不気味なのは変わらないが。
そうして、思い至る。
血が落ちていたりしないだろうか、と。
暗い夜の間だから気づかなかっただけで、血の跡が点々とマンションまで続いていたら。
しかし路地裏もその後の帰り道もコンクリート道路を注意深く見ていたが、血痕らしきものは見つからなかった。
「良かった・・・」
一人、安堵してマンションまで辿りついた。
男は薄暗い中、目を覚ました。
一瞬自分の家でないことを訝り、知り合いの家かそれとも行きずりの女の家かと考える。
そしてそんな記憶を辿ろうとした思考が唐突に思い出す。
仕事帰りに襲われて、なんとか逃げたことを。
「・・・っ」
体を起こすと痛みが走った。
怪我の箇所に手をやり、手当てしてあることに驚いた反面かなり怪訝に思った。
誰か仲間に助けられたのだろうか。
そう思うがどこかのマンションの一室らしいこの部屋には誰の気配もない。勿論見覚えもない。
体を動かすのはまだきつかったが、そうも言っていられず、自分の置かれた状況を素早く探る。
自分の着ているものが自分の服でないことに気づいて、慌ててポケットに入れておいたナイフを探すが見つからない。
「・・・・・・」
軽く深呼吸をして、鋭く感覚を補うように目を左右へ凝らす。
誰かが息を潜めていてもすぐに対応できるよう握力を確かめ、そっと静かにベッドを下りた。
右足に力が入らないことに顔をしかめる。それにまだ傷が痛み動くたびにわき腹に熱いものが走る。
「っ・・・ハァ・・・、ってぇ・・・」
引き戸で区切られている向こうはリビングで、今は誰も居ないが、少なくとも誰かが住んでいるのが分かる。
どうするか少し悩んでいると、リビングから通じる廊下の先、玄関からガチャガチャと音がして緊張が一気に高まる。
スッと、慌てず冷静になり音を立てずにキッチンへ移動した。
「あ、そういえばプリン食べるの忘れてた」
玄関の鍵を開けながら、手に持つビニール袋を見て思い出す。朝食で食べようと思っていたのに。
ガチャ、とドアを開け、中に男の革靴があることを確かめる。
「まだ寝てる・・・かな」
靴を脱いで上がると、リビングのソファに二袋の荷物を置いた。
そしてコートを脱ぎながら男を寝かしている寝室のベッドを見る。
「・・・・・・あれ」
居ない、と声を出そうとして、後ろから気配を感じ驚いて振り返った。
「声を出すな」
そう昨夜と同じ声で同じような鋭い気配を纏い、男がキッチンにあった“果物ナイフ”を持っていた。
自分の喉元に突きつけられた鈍く光る刃先を見て、意図しなくても悲鳴すら上がらない。
「・・・・・・」
「質問に、答えろ」
有無を言わさない男の言葉に思わず頷く。
抵抗するでもない様子を見て男は少しだけナイフを離すが、睨むような警戒するような雰囲気は変えない。
「お前は誰だ」
「・・・・・・です」
「・・・・・・」
「昨日、夜中にすぐそこの道で貴方が倒れてるのを見つけました・・・」
男の眉が上がった。思い出そうとしているのかもしれない。
「たまたま・・・見つけてそれで、警察か救急車を呼ぼうとしたら、貴方に止められて・・・」
少し沈黙した後、男は思い当たるものがあったのか、あぁ、と小さく頷いた。
「・・・ここは?」
「ここは・・・私の家です。貴方を放っておくわけにはいかなかったので、連れてきました」
一応、断りは入れましたよ、と言い添えた。
探るように男はリビングに目を走らせ、そしてまた口を開く。
「何で俺を連れてきた?」
「・・・・・・」
「血まみれで、倒れてる男が居て。何で関わろうと思った?」
尋問のように、どんな些細な変化も嘘も許さない、静かな声色。
―――その声が、
「放っておけば死んでしまうって・・・」
―――声が似てたから。
「分かってる人間を放っておく事なんか出来ません・・・」
答えると、ジロリと男が見下ろして思考しているようでしばらく黙った。
ナイフの先と男と、よく見れば辛そうに息を微かに弾ませてる様子を見る。男の空いている手はわき腹に添えてある。
「あの・・・」
「あぁ?」
声を掛けると柄の悪い声が返ってくる。
「・・・ガーゼ。取り替えた方が・・・」
「・・・・・・」
「買ってきたんです、ガーゼ」
言って、ソファの袋を示すと、男がそれを少し覗いて、
「・・・ん」
果物ナイフが、静かに下げられた。
男が一歩離れる。
ナイフから解放された事に少し息をつく。
よく考えなくてもこんな短い間に二度もナイフを突きつけられるなんて体験した事がない。
間違った、疑われるような受け答えをしていたら、と思うとゾッとした。
男は棚に寄りかかりながらナイフの刃を触り、チラリと視線をよこす。
「・・・俺の事を知ってるか?」
「・・・・・・」
黙ったまま足を進めて、ローテーブルからリモコンを手に取り、テレビを点けた。
何をしているのかと眉を潜めた男が、チャンネルを変えたニュースを見てさらに眉間に皺がより、とても難しい顔をした。
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