midnight news −side other−


ピリリと空気の冷たい夜だった。
白い息の塊が自分の口から漏れる。
「・・・」
意味もなくもう一度息を吐いて大きく白いモヤを四散させた。
「・・・寒い」
口にしなくてもいい事を口にすると、家路へと少し急ぐ。
深夜も深夜の時間帯で、駅から離れたこの道は人通りが少なく少し不気味だ。
手に持ったコンビニの袋には夜食と朝食用の食パンが入っている。
これから部屋に戻って冬の夜長を夜食のプリンをお供に読書にふける予定だった。
「あ・・・ノラ、寒くないの?」
電柱の影からのっそりと白黒の猫が顔を出す。この道でよく会う野良猫だ。
なぁう、と低く可愛くない声を出してこちらを見上げる。
『もうすぐクリスマスだってのに、お前一人で寂しくないわけ?』と目が言っていた。
「・・・今日は冷え込むらしいよ?ウチ、来る?」
『猫くらいしか誘う奴いねぇの?』とばかりにもうひと鳴き。
可愛くない。
「今度なんか上げるからまたウチおいでね」
なぁーお、と返事をして長い尾っぽを振りながら暗闇に溶け込んでいった。
やっぱり可愛くない。けれどそれがかっこいいとも思う。
ノラが消えていった路地の隙間を見て、一つ嘆息すると寒さでぶるりと体が震えた。
さっさと帰ろう。
そう思って家の方へと足を向けた、その時。
なぎゃう!と、変な音――声がした。
低く愛嬌のない、ノラの声だ。
「・・・ノラ?」
仲の悪い猫でも居たのだろうか、と眉を潜めて細い路地を覗き込もうとする。
ガコン、ゴン、と大きな物音がして驚いたが、猫同士の喧嘩にしては鳴き声が最初のノラの声以外聞こえない。
「なに・・・?」
少しビクビクしながら路地に足を踏み入れる。
よせばいいのに、と自分でも思うが、最近は猫にとっても物騒な世の中なわけで。もしノラに何かあったら可哀想だから。
コンビニの袋を構えてジリジリと足を進める。
ひと二人が通れるくらいのビルと塀に挟まれた狭い路地。外灯の届かないところまで来ると、さすがに真っ暗だ。
「誰か居ますかー・・・?」
なぁお、とノラの返事。
「アンタが居るのは分かってるんだってば・・・」
言って奥まで進んでいくと暗闇に慣れ始めた目が徐々に路地奥の輪郭を映していく。
ノラの光る二つの目を確認して、ホッとした直後にその息を逆に呑み込んでしまう。
何か大きな影がノラの隣りに横たわっていた。
「・・・なに?」
一層構えて、ソレを窺う。すぐ傍に誰かが捨てたテレビなどの粗大ゴミが見える。
そして確認する。
―――死体だ。
「し・・・っ」
息を呑んで目を見開いたまま一歩下がる。
するとノラが死体の腕にすりつき、それに応えるように死体がピクリと動いた。
―――動いた? 死体が? そんな馬鹿な。動く死体なんて死体じゃない。
―――違う・・・違う、そういう問題じゃない。
死体だと思ったソレをよく見ると、男だった。それも結構背の高い男の人だ。
怪我をしているのは一目で分かった。顔にも洋服にも血が付いている。
「・・・」
少し観察するように眺めていて、ハッとする。
「警察・・・じゃない、救急車・・・」
自分に言い聞かせるように口にして、コートのポケットから携帯を取り出す。
かじかむ手で携帯を開いた瞬間、冷たい突風が髪を通り抜けた。

「やめろ。電話するな」

倒れていたはずの目の前の男が、ノラよりも低く唸るように言う。
自分へと突き出されたその手には小さな銀色のナイフが握られていた。
驚き警戒するよりも、唖然として銀色に光る鋭い先端と男を見つめる。
互いの白い息だけが凍てつく暗闇に浮かんで見えた。
「警察も、救急車も・・・駄目だ」
静かな声だがその呼吸は荒い。
負傷によって辛いのが見て取れるが、それすらも気にさせないほどの威圧。
細めの目が鋭く光っていた。

携帯を静かに下ろすと、満足そうに男は一つ頷き、そして、倒れた。
「・・・・・・」
なぁう、と暢気にノラが鳴いた。
「・・・あの、大丈夫ですか・・・?」
恐る恐る屈んで、声を掛ける。
腕を伸ばして肩を軽く揺すり様子を窺うが返事はない。
今度こそ死んだのかと思ったが、微かに呼吸しているのが聞こえる。良かった、生きてる。
チラリと男が落としたナイフが目に入り、思わず遠くへと払った。
「・・・・・・」

―――「やめろ。電話するな」

男の重く鋭い声を思い出す。
息が止まるほどに驚いた。
突然突きつけられたナイフにでなく、突然起き上がった男にでなく、その声に。
「・・・・・・どうしよう」
彼をこのまま放っておく事は出来ない。
怪我の具合は分からないが、軽傷だとしても真冬の外に転がっていたら凍傷で死んでしまうだろう。
「・・・ノラ、どうしよう」
なぁーお。
「・・・・・・」
ノラを見て、男を見て、路地の向こうの道を見て。
警察と救急車は駄目だと言った真剣な男の声を思い返した。
もう一度男を見下ろして、そして決心する。
「しょうがない・・・」
独り言にノラが鳴く。『クリスマス一人じゃなくなったな』と。
「・・・血を流して警察駄目なんて、明らかにカタギじゃないよ・・・」
苦笑して、男の右腕を肩に掛ける。
遠ざけたナイフは刃を折りたたんで自分のポケットへ入れた。
「しょっ・・・」
肩を組んで立とうと意気込むが、どうやっても相手は長身の男で自分と多分20センチくらい違う。
上半身は起こせてもそれ以上持ち上げる事は出来ない。
「った、と・・・」
男の体が重力に従って大きく左に傾き、バランスを立て直せず、乗りかかるように倒れ込んでしまった。
「ガッ・・・!」
漏れる鈍い声に慌てて飛びのく。
「す、すみません・・・」
「・・・ァ」
男が背を丸めて身をよじる。
大丈夫ですか、と近寄るが荒く呼吸を繰り返すだけで意識があるのかもよく分からない。
多分、酷く朦朧(もうろう)としているんだろう。
彼のコートが黒だったため気づかなかったがその下のセーターの赤黒さはかなりの量だ。
転んだ際に触れてしまった自分の服にもその赤黒いものが付着した。
「このコート気に入ってたんだけどな・・・」
そんな事をぼやいて、深呼吸をすると男の耳元に顔を近づける。
「今から、私の家に運びます。いいですね」
聞こえているのかいないのか男からの反応はなかった。
コートに血が付くから、と言ってはいられない。
もう一度男の腕を肩に掛けて、今度は更に男の懐に潜り、背負う。
見た目に感じたように身長のわりにそこまで重くない。しかし大の男の重さはあって。
ぐらりとまたバランスを崩しかけ、踏ん張る。
「・・・っ」
傷口が接触するのか、動く度に男の呻きが耳元で聞こえる。
「すぐ、そこ・・・ですから・・・」
無理に背負って男の両腕を片手で持ち、落ちないようにもう片手で体を支える。
それでも身長差分男の足を引きずることになるが、どうしようもない。
一歩ずつ、ずり、ずり、と足を前へ運ぶ。
なぁーう。
ノラが背後で鳴いた。
「・・・っ。ノラ・・・っ、ごめん、また、今度、ね・・・」
振り向けずにそのままで言って、また足を動かし落とさないようにする事だけに専念する。
一つ鳴いて、ノラはどこかへ行ってしまったようだった。
「ちょっと、くらい・・・手伝って・・・くれても・・・いいのに・・・」
猫の手も借りたい、とは少し違うかも知れないけど。
一歩足を運ぶごとに白い息を吐く。
狭い路地から出て、歩いて五分くらいの自分のマンションへ向かう。
いつもならすぐそこなのに、今の状態ではとても長く感じる。
「・・・ハァ、ハァ」
若い女がでかい男を背負って引きずっている様子は、傍からはどう見えるのだろう。
酔っ払いの介助のように見えるだろうか。死体を運ぶ女に見えるだろうか。
「・・・・・・ッ」
出来れば前者であって欲しい。
近所の人に人殺しなどと思われるのはごめんだ。
「ハァ・・・っ、なんで、こんな事、してんだろ・・・」
本当は自問しなくても気づいている。
「・・・ハァ、ハァ」

声が、似てたからだ。



結局五分の道のりが二十分近く掛かった。
「・・・っ、ハァハァ・・・着いた」
マンションの自動ドアを潜って、エレベーターホールでエレベーターを待つ。
エレベーターがあってよかった。そうでなければ四階まで到底上れなかったと思う。
知り合いに会わない事を願いながら辺りを見渡し、チンッと静かに到着したエレベーターに乗り込む。
狭いエレベーターの中でなんとか男の足を挟まないように方向転換をして、四階のボタンを押す。
「あら、ちゃん?」
声がして、慌てて開閉ボタンの開を押し、エレベーターホールを見やる。
「こんな遅くにどうしたの?」
一階に住む世話好きの自治会長さんだ。
手には沢山の紙の束を持っていて、住人のポストに向かっている。
新しい町内会のお知らせでも入れてるんだろう。なにもこんな深夜にやらなくてもいいのに。
「え、あぁ・・・ちょっとこの人飲みすぎたみたいで・・・」
酔っ払いの介助のように、と考えていたせいか、するりとそんな言葉が出てくる。
「あーら、大変ねぇ!もしかしてお兄さん?」
「・・・あー・・・はぁ」
曖昧に笑んで、話の切り目を逃さないように開ボタンを押しながらも、閉ボタンにも指を置く。
そんな意図を汲み取ってくれるわけもなく、おばさんはお知らせをポストに入れながら喋る。
「良かったわねぇ。でも、あんま遅くならないようにしなきゃ駄目よ?」
「はぁ・・・」
片手で支えているだけの男の体が少しずり下がる。危ない。
「だって聞いた?すぐそこで車が大事故ですって、さっきニュースでやってたわよ!」
どこそこで事故が、事件が、というのはおばさんの口癖で、大抵東京都内であれば『すぐそこ』という。
気をつけなさいよー?と毎度の注意を受け、そのタイミングで受け答えしながら「おやすみなさい」を挟んだ。
「はーい、おやすみなさい。ちゃんと温かくして寝」
ドアが完全に閉まっておばさんの言葉は最後まで聞こえなかったけれど、ドア越しに微笑んで頭を下げた。
ヴン、と軽い違和感を伴ってエレベーターは四階へ上がる。
「・・・・・・」
明日にはうちに兄が戻ってきた事が話題になっているかもしれない。
狭い密室に背負う男の呼吸する音だけが響く。
「・・・はぁ」
疲労だけではない嘆息が漏れた。
チンッと鳴ってドアが開く。また引きずる男の足が挟まれないように気をつけながら素早く下りる。
吹きさらしの通路、左側に並ぶドアを通り過ぎて自分の部屋を目指す。
帰ったらプリン片手に読書、という予定はすっかり崩れ去っていた。

「ここ、ですよ・・・っと」
片手でバランスを取りながらポケットから鍵を取り出し、慣れた手つきで鍵を開ける。
体力的に疲れている今の状況では、いつもの扉でさえ重く感じた。
「ぅりゃ・・・と、と・・・」
扉を引き開けるとそこへ閉まらないように足を差し出し固定、その間に体を滑り込ませた。
少し男の足をドアに挟んでしまったが、靴の部分だけで男が痛がる様子はなかった。
「・・・ハァ、ハァ・・・」
もう少し体を引くとガチャン、とドアが閉まった。
とりあえず自分の靴を脱いで、フローリングの床へ上がり、そこでようやく男を下ろす。
足は玄関口にはみ出したまま、横向きに倒れこませた。
「・・・家に着きました、よ・・・」
男の耳元で言って、自分もペタリと床に座り込んだ。
「っあー・・・疲れた・・・」
痺れと寒さで麻痺している手を握ったり開いたりして感覚を確かめる。
コートを脱いでみれば案の定背中には黒い染みがついていた。
しょうがないと息を吐いて立ち上がり、玄関の鍵を回すと男の靴を脱がせた。
もう一度気合を入れなおして、ベッドまで運ぶ事にする。
「・・・しょうがない、しょうがない」
呪文のように呟いて、また男を背負うと壁に伝いながらリビングへ入り、その隣りの部屋へ足を向ける。
引き戸で仕切られた薄暗い部屋のベッドへと辿り着くと、なるべく衝撃を与えないように男をベッドへ移した。
「ふー・・・」
仰向けに転がし、ようやく運び終えた事に一息つく。
軽く腕を回しながら電気を点ける。男は僅かに動いた気がしたが起きた気配はない。
男を見ながら、次に何をすべきか思考し、まだ荒い呼吸を繰り返す。
部屋を暖めようとリビングのエアコンを入れ、リビングの電気も点けた。
その足で玄関内に放り出しっぱなしだったコートとコンビニの袋を拾い上げ、ついでに風呂のスイッチを押す。
夜食と読書は完全に諦め、プリンを冷蔵庫にしまった。
代わりにキッチンに立って、寒い日帰ってきたときにいつもするように紅茶ポットに茶葉とお湯を注いだ。
カチャカチャとマグカップを取り出し、紅茶を注ぎいれる。
熱い紅茶に息を吹きかけて、少しすする。
「はぁー・・・」
安堵に似たような息を漏らした。
何をしようか考えて、じっくりと紅茶を半分ほど飲んでから、作業へと取り掛かった。
時計の針は一時をすでに越えており、テレビの点いていない部屋は本当に静かだった。




再び、マグカップに口を付けた頃にはすっかり紅茶は冷め切っていた。
時計は三時半を指していた。ゆったりとした眠気が襲う。
「んんー・・・ふぁ・・・」
リビングの二人掛けソファに腰を下ろし、欠伸をした。
少し振り返って、男を寝かしている薄暗い部屋に目をやる。

男の傷は出血の割に、わき腹に掠った刺し傷のようなもので深くはないようだった。
すでに血は止まりかけていて、傷口の周りは乾き始めていた。
それと額にぶつけたような傷、右足首の捻挫。
血の付いた洋服を脱がせながら、お湯で絞ったタオルで傷周りを綺麗に拭いた。
ガーゼやシップ、包帯で手当てはしたが、それでも素人目での判断でしかなく、本当は重傷だという可能性もある。
「・・・まだ目ぇ覚めないしなぁ」
傷の消毒の際に男は何度か呻いたが、はっきりと起きはしなかった。
とりあえず急を要する怪我ではなさそうだが、どの道医者には見せるべきだろう。
男が目を覚ましたら、仲間あるいは組の者にでも連絡をしてくれるといいのだけど。
もし、男がそういうグループに属してない者だとしたら、知り合いにでも医者を紹介して貰おうか。
「・・・・・・」
静かな部屋に時計の針の音と、低い洗濯機の音が聞こえる。
多分落ちないだろうが一応、男の着ていた物と血のりの付いてしまった自分の洋服。
自分自身も疲れと血を落とすためにすでに風呂に入った。今は部屋着にパーカーを着込んでいる。
ソファで足を抱えて、目の前の小さなテーブルに置いた銀色のナイフを見る。
男が持っていた武器の類はこの小さなナイフだけだった。
「銃とか出てきても困るけど・・・」
そう呟いて、ナイフを手に取ると、簡単に男の手に渡らぬようにソファの背もたれと座高部の隙間にそれを隠した。
意外にここは見つかりにくい、と教えてくれたのは兄だった。
念入りに奥の方へしまい込むと、ソファのクッションを手に取り抱え込んで、深呼吸をする。
また欠伸をした。
目を擦って、寝ようかどうしようか考える。
男は傷が熱を持って発熱している状態で、顔や首だけでも定期的に汗を拭いてあげた方が良さそうなのだが。
思考しながらクッションに顔をうずめていると、うつらうつらと瞼が下がり、何度か瞬きを繰り返す。
しかしそれもむなしく、いつの間にかソファでうずくまるようにして眠ってしまった。





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