shocking news − side other −
夕食を済ませ、ティーカップを手にCDを聴いている。
北山と酒井はあれから少しして帰っていった。
人が減ったというだけで室内温度が下がったような気がする。
人の体温は馬鹿に出来ないのだと、は改めて気づいた。
よく考えればこんな短期間にこうも沢山他人が出入りしたのは初めての事だった。
陽介もあまり友人が居る方ではなかったし、自身家に友達を呼んだのは数えるほどだ。
「・・・・・・」
やる事もなくただただ音楽に耳を傾ける。
村上が来る前のように、陽介の部屋への仕切りは閉めてある。
人が居ないのに開けっ放しにしているのは暖房代の無駄だから。
ソファの前の定位置に座り、お気に入りのカップに紅茶を淹れる。
部屋の中が村上に関わる前と同じ。
ただ違うのは、BGMに自分で買ったゴスペラーズのアルバムが流れている事。
曲中の細く高い声が村上の声だと気づいた時は驚いた。
本当にアーティストだったんだ、と思わず口に漏らしてしまったほどに。
時計がてっぺんを指す頃、はペンを置いた。
結局北山達が帰るまでにアンケート回答は終わらなかった。
そのうち取りに来るから、と北山は言っていたが、そんな曖昧な事でいいのだろうかとは少し呆れた。
しかし拇印のいる確約書の方はしっかりと持っていったのでその辺は大丈夫なのかもしれない。
は筆を休めつつアンケートに答えていき、たった今ようやく終わったのだった。
体を伸ばして硬くなっている筋肉をほぐす。
「あ、プリン」
食後のデザートに食べようと思いすっかり忘れていたプリン。
まだ冷蔵庫に箱ごとしまわれたままだ。
そう思い出して、丁度良いと立ち上がり紅茶も淹れ替えようとカップを手にキッチンへと行く。
すると、ピンポン、と静かなバラードの中酷く軽いチャイムが響いた。
不思議な思いで時計を確認する。
深夜十二時半。
誰だろう、とはカップを置いて玄関へ返事をしながら向かった。
開ける前にドアスコープを覗く。
そこには意外というか案の定というか、数日前にも見た顔があった。
鍵を外して扉を開けると冷たい空気が入り込んでくる。
「いやぁ、こんな遅くにごめんねぇ」
白い息を漏らしながら来客の男―――黒沢はそう謝った。
ここ数日の間に訪ねてくる人がゴスペラーズのメンバーばかりな事には慣れ始めていた。
「あ、いえ。どうかしたんですか?」
とりあえず、と招き入れ扉を閉め、鍵を閉めようとする。
「あぁ、ごめん、ちょっと聞きたい事があって・・・」
そんなに長居するつもりはない、と黒沢は手を振った。
「なんですか?」
「あぁ、うん・・・ん?あれ、これ・・・」
何かに気づいたように黒沢が宙を見た。
そこまで大きな音でないとは言え、リビングから微かに音楽が漂ってきている。
「もしかして俺達の曲?」
「あ、えぇ、そうです」
は少し照れた風に笑みを零した。
「お葬式の時の曲がもう一度聴きたくて、買っちゃいました」
「あ、そうなの?なんだぁ、言ってくれればプレゼントしたのに。ちゃんは村上の恩人なんだからさぁ」
「そんな、私の方こそ兄の事でお世話になってますし・・・。歌、かっこいいですね」
「本当?あはは、ありがとう。なんか、真正面から言われると照れるね」
本当に嬉しそうに照れたように微笑む黒沢に、も笑った。
「それで・・・何かあったんですか?」
聞くと黒沢はハッと我に返ったようで、ほのぼのした笑みを引っ込めると困りきった顔に苦笑を浮かべて口を開いた。
「あぁ・・・あのさ、村上ここに来てない?」
「え?」
が驚きに目を見開く。
「アイツ、居なくなっちゃって・・・心当たりをみんなで探してるところなんだ」
「居なくなったって・・・え?」
困惑の表情を浮かべて聞き返す。
黒沢がそれに答えようと口を開きかけたその時。
ピンポン。
突然のチャイムに、二人は肩を飛び上がらせた。
強張った顔でと黒沢は顔を見合わせ、扉を見る。
音を立てずにそろそろとが黒沢の横からドアスコープに顔を寄せ、確認する。
「・・・・・・」
誰?と黒沢が小声で聞く。が外を窺いやすいように体を避けている。
「・・・分かりません、知らない人です・・・・・・」
ドアスコープから顔を離して声を潜めて返すと、黒沢は真面目な顔のまま静かに靴を脱いだ。
素早い動きで靴を手に持ち、すぐ傍の脱衣所へと向かう。
「ごめん、俺他の人に見られると困るんだ。ちょっと隠れさせてね」
「あ、ハイ・・・」
頷いて返すと、は緊張した面持ちでもう一度ドアスコープで確認する。
やはり知らない顔だ。
ピンポン、と再度チャイムを鳴らされ、は慌てて返事を返した。
チラリと黒沢の隠れた脱衣所の方を確認し、風呂場へのドアが閉まる音がしてから覚悟を決めて扉を開いた。
「・・・・・・どなたですか?」
チェーンを掛けたまま隙間から窺う。
「夜分遅くに申し訳ありません、さんでしょうか?」
そう笑み履きながらハキハキと言った男。
一見どこにでも居そうな若い男だった、明るめの茶髪で少し軽そうな風体。
警戒を解かずに怪訝な顔で頷けば、その笑みが一層明るくなる。
「私、グラシアスから参りました」
明るくなった笑みをとは裏腹に潜められた声には眉を上げた。
グラシアス、ゴスペラーズの所属する事務所だ。
「あ、すみません、チェーン外しますね」
一旦閉めてチェーンを外してから、もう一度開く。
玄関まで促し、黒沢と同じようにドアと閉め鍵を掛けた。
「村上さんの事ですか?」
黒沢に事務所の人だと伝えてあげようと、脱衣所の方へ足を運ぼうとする。
「あぁ、それもあるんですけどね。お兄さんの事で少しお話が」
「え・・・」
思ってもみない言葉に驚き、慌てて振り返る。
瞬間、冷気がの頬を掠めた。
「お兄さん、帰ってきてるんだって?」
変わらず笑みを履いた男が、低く、聞いた。
「・・・・・・っ」
何が、起こった。
咄嗟の出来事には驚愕の眼差しで男を見つめていた、否、見つめる事しか出来なかった。
自分の喉元に感じるひんやりとした感触。
乱暴に押し付けられ壁に挟まれている様子なのに背中の痛みは全く感じない。
全ての感覚が喉へと突きつけられているモノに集中しているような。
ぐい、との肩を掴んでいる手に力入る。
「ん・・・っ」
「質問に答えて欲しいんだけど・・・、あぁ、まぁいいや。お兄さん居るんだろ?」
刃物の位置をずらさず、を力ずくで壁から引き剥がす。
靴を脱ぎ散らかすと男はをリビングへと押し出した。
「お邪魔しまーす」
は黒沢が居るはずの風呂場へと視線を向けるが、完全に身を潜めているようでこちらからは確認出来ない。
リビングのドアを潜る。
「ん?お兄さんは?陽介はどこだよ」
リビングに人の気配がない事に訝り男がを睨んだ。
強張った顔で男の顔を見返す。
「・・・居ません」
思った以上に弱い声が口から漏れた。
ナイフを突きつけられた事はこれで三度目だ。
一度目と二度目は村上に、三度目は目の前の男。
村上は躊躇う事なくに刃を向けてきた。この男も驚くほどの早業で喉元に。
緊張で体が固まり、一指でも動かしたら殺されるのではないかという怖さ。
ただ、圧倒的な違いがある。
慎重さ。
威圧的というだけなら二人に共通するが、この男には、重みがない。
村上にあった、重み。
人を傷つけないための、慎重さ。
きっと村上もが敵であれば容赦なく傷つけていただろうが、それでも慎重さは確かに感じた。
それを今ナイフを突きつけている男には感じない。
それ故に一層の恐怖を覚える。
傷つけても構わないと本当に思っているのだ。この男は。
「居ないー?嘘ついてんじゃねぇよ」
キョロキョロと忙しなく視線を配る男に、は首を左右に振った。
「本当です・・・、兄はずっと帰ってきていません・・・」
「んなわけねぇだろうが」
言って男はの首筋から刃物を引いたが、その切っ先はの目の前に突きつけたままキッチンを覗き込んだ。
「隠しても無駄だぞ」
「ほ、本当ですよ・・・」
男は隣りの部屋へ続く仕切りへ寄って、ドアに手を掛ける。
勢い良くスライドさせ、電気の消えた薄暗い陽介の部屋を見渡し、舌打ちをした。
「おい、マジで隠しても無駄だから。ちゃんとアンタの兄貴が帰ってきてるって情報あんだから」
苛ついた様子を隠す事なく男がを睨み付けた。
そんな情報には全く心当たりがなく、は困惑の表情で見返す事しか出来ない。
「ここのマンションのおばちゃんに聞いたんだから」
「・・・・・・」
ハッと息を呑む。
この男が『高橋』なのか。
だとするなら彼は大きな勘違いをしている。
マンションに住む人達が陽介が帰ってきてると思い込んでいるように、この男も同じ思い違いをしている。
「違います・・・、それ、それは・・・村上さんですよ・・・」
「あぁ?」
「あの、私が怪我をしてる村上さんを助けて・・・それで・・・マンションの人達は兄だと思ったみたいで・・・」
「・・・・・・はぁ?マジかよそれ」
男が軽薄に笑う。ドラマでチンピラが浮かべるようなそれに似ている。
「アンタ、村上の恋人じゃなかったのか?」
「え・・・」
言われて、男の顔をジッと見る。
そうして思い至る。
「あ・・・」
は男を一度見ていた。
「あの時の・・・」
火葬場にメンバーに会いに行った時、中継ぎをしてくれた、スタッフ。
驚いたに反して男はつまらなさそうにまた舌打ちをした。
「んだよ・・・マジで居ねぇのかよっ」
八つ当たりのような言い草で男はの肩を突き飛ばす。
足が強張っているせいでよろけた足にソファが当たりそのまま倒れ込んでしまう。
見上げると男は変わらずナイフをこちらに向けたまま、眉間に皺を寄せを見下ろしていた。
どうしよう、どうしよう。ナイフの尖端を見つめながらは思考する。
大声を出せば助けが来てくれる事は確実だが、それでもその瞬間に目の前のナイフが自分に振り下ろされるだろう。
大体何故この男は陽介を尋ねてきたのか。
陽介に用事があったのだろうか。帰ってきたと知ったらすぐさまナイフを持って会いに来るような用事。
「・・・っていうか」
ポツリと呟き、ナイフから男へと視線を向ける。
「兄を・・・知ってるんですか?」
「あぁ?」
「誰、なんですか」
震える声を抑えて、真っ直ぐと男の瞳を見上げる。
恐怖だけでない震え。
緊張と、興奮。
心音が煩い、耳鳴りのようにへばり付いている。
男が勘違いをしていたように、も思い違いをしていた。
昼間の高橋という人物は村上の事ではなく自身の事を探っているのかも、という予想はある意味正しかった。
しかしそれは村上達の組織がを疑って、というわけではなく。
と男とを結ぶのは村上ではなく、陽介、だと言う事だ。
目の前の男は陽介の失踪について何か知っている、というどこか確信めいた興奮がを駆け巡っていた。
「兄を知ってるんですよね・・・?」
「あぁ?うるせぇな。つかアンタ俺の事知っちゃったんだから死ぬんだぜ?」
つい、とナイフが近付く。
それでも、ひるむ事はしない。
「お願いします教えて下さい、兄はどこに居るんですか?」
の懇願に心底鬱陶しそうに舌打ちをしたと思うと、ナイフがゆっくりと振り上げられた。
「ハイ、ストーップ」
場にそぐわない、酷く軽い声だった。
それは玄関の方からではなく、の後方から聞こえた。
ひんやりとした風が部屋へと吹き込む。
「な・・・」
「お前だったんだなぁ」
相変わらず飄々とした様子で笑みを浮かべる男は、ベランダから部屋へと入ってきた。
驚愕の眼差しで男は相手の名前を口にする。
「む、らかみ・・・・・・」
「おう、村上です」
村上はゆっくりと足を進める。
軽い受け答えはいつもと同じなのに、その声には若干の硬さが見えた。
「・・・っ」
「オイ、逃げんなよ。逃げても無駄だからな」
男が振り返る素振りを見せた途端に村上が言って、ガチャリとリビングのドアが静かに開いた。
「・・・・・・」
「残念だよ」
ほのぼのとした笑みが引いた、悲しそうな表情で黒沢は静かに言った。
村上と黒沢の手には携帯電話が握られていた。
男の握っていたナイフの照準が自分から逸れた事を見て、はソファの上で僅かに距離を取った。
すぐさまの行動に気づいて男は牽制しようとするが、それでもすぐ傍に居る黒沢が気になって出来ない。
「・・・っ、あぁああ!」
を人質に取るのは無理だと判断したのか、男は咄嗟にそのナイフを黒沢へと向けた。
あ、とが息を呑む。
男の行動は予想していたようで黒沢はギリギリで避けると、同時に動いた村上と一緒に男を取り押さえに掛かった。
黒沢がナイフを持っている手首を掴み、村上が体当たり同然に男へとタックルをかまし床へと倒す。
もがく男の上から村上は圧し掛かった。
その合間に黒沢は男の手首を捻りナイフを落とすと、それを素早く拾い上げて自分のコートへとしまう。
そんな一連の華麗なほどにスマートなチームプレイをは呆然と眺めていた。
「いってぇー・・・」
男を押さえ込んでいるはずの村上から呻き声が漏れた。
「当たり前だよーテツー。お前怪我治ってないんだから・・・」
「・・・ッ、黒沢、代わってくれ」
ハイハイ、と黒沢と位置を交換させ村上は立ち上がると、男のバタつかせている足を踏んで押さえた。
身動きの取れない男から罵倒と叫び声が聞こえる。
その上で両腕を固定している黒沢は困ったように村上を見た。
「なぁ、俺よく状況分かってないんだけど・・・」
「あー・・・俺も実はいまいち飲み込めてねぇ・・・んだけど、まぁ連れて行けば分かるだろ」
村上はわき腹を摩りながら、携帯を取り出すと手慣れたように番号を押しどこかへ掛け始めた。
その携帯がのだという事にその時気づいたが、特に何も言わなかった。
「あぁ、俺。うん、てっちゃん。今の家に居るんだけどー・・・あぁ、うるせぇな・・・」
きっとメンバーの誰かに電話しているのだろうと様子を眺めるまでなく想像ついた。
その間、はジッと倒された男を見ていた。
「あの・・・兄を、知ってるんですか?」
ソファから身を乗り出して男を見下ろす形で声を掛けた。
電話の対応をしながら村上は顔をしかめ、黒沢はあからさまに驚いているようだった。
男が僅かに頭を上げを睨むと、呻くように口を開く。
「・・・あぁ、そうだよ・・・」
その言葉にはさらに身を乗り出した。
「お兄ちゃんは、今どこに居るんですかっ!?」
悲鳴のような声。
「・・・・・・」
黙る男に黒沢が腕を少し強く捻った。
「ぐぁ・・・ッ、ぁあ・・・」
「お兄ちゃんはどこに?」
同じ質問をが繰り返す、男は忌々しそうに黒沢を睨みへと視線を戻す。
そうして、ニヤリ、と笑った。
「もうこの世に居ねぇよ」
「・・・・・・」
黒沢が無言で男の腕をさらにきつく捻る。
「ガ・・・ぐ、マジだよ!」
男が声を荒げる。
「陽介ッ、帰ってきてないんだろ・・・だったらそういう事だよ!」
「・・・どういう事だよ」
通話を終えたらしい村上が屈んで男の顔を覗き込んだ。
その声は低く、怒気が篭っている。
「・・・ッ、俺は、死んだはずの奴が帰ってるって聞いたからココに来たんだっての!」
「・・・・・・何で死んだはずって分かんだ?」
「・・・・・・」
「お前が殺したのか?」
「ちゃん!」
黒沢が叫んだ。
ハッとして村上が顔を上げると、そこにはが立っていた。
男を静かに見下ろしている。
微かに震えるその手に思ってもみない物が握られていた。
それはいつか、村上のポケットに収まっていた折りたたみ式の。
が預かって、念のためにとソファに隠した、銀色の。
「・・・」
村上だけでなくも返す事を全く持って忘れていた、ナイフだった。
それが偶然、思い出されたのだ。
自分が座っているソファの座席の間にソレがしまわれている事に。
手を滑り込ませば案の定行き当たった硬い感触。
はそれを手に取り、そうして、今、男へと向けていた。
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