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CDを早く聴きたい気持ちを覚えながら急ぐに声が掛かったのは、マンションの入り口でだった。
平日の昼下がり、主婦が井戸端会議をするのには良い時間帯。
声の主はお隣の佐藤さん。
「丁度良かった、ちゃん」
佐藤さんと仲の良い奥さん二人も笑顔で寄ってくる。
頭を下げ挨拶を交わすと、手を一振りして佐藤さん達は口々に喋り始めた。
「さっき、テレビ局関係者って言う男の人がウロついててね」
「はい?」
テレビ局、と内心ギクリとする。
つい先日まで一緒に居た芸能人の顔が浮かぶ。その関連の人だろうか。
「ドキュメンタリーのネタを探してるとかで、私達に聞いてきたのよ」
「闘病生活を送ってるとか、親に先立たれた子とか、そういう話」
曖昧に相槌を打っていると、佐藤さんから思ってもみない言葉が飛び出した。
「だから、ちゃんと陽介君の事話しちゃったのよー」
「え?」
「ほら陽介君戻ってきたじゃない?その事をちょっとだけ話したのよ」
「一年お兄さんを待ち続けた妹、って確かにドキュメンタリーになりそうよねぇ」
楽しげに話すおばさま方には複雑そうに笑う。
実はそれは陽介ではなく声質以外似ても似つかない村上という男なんです、兄は帰ってきてません。
まさかそう言うわけにもいかない。
「そしたらその人凄く興味津々で、色々聞いてきたわよー」
「もしかしたらちゃんテレビに出たりして?」
「あら、それ凄いわね!」
テンションの上がるおばさまには慌てて手を振った。
「え、あ、あの、その人は私の事を色々聞いてきたんですか?」
そうよ、とおばさまは笑顔で応える。
「あ、でも安心して。プライバシーに関する事だから詳しく話したりはしてないわよー」
「はぁ・・・、じゃあどんな話を?」
「普通の事よね?」
「えぇ、家族構成とかちゃんがどんな子だとか」
「陽介君がどんな子だとか、そういう事だけよ」
「へぇ・・・?」
僅かに目を細める。
「その男の人の名前とかって・・・」
「あぁ、『高橋』って。名刺は貰わなかったけど」
「高橋・・・」
その名前の知り合いならば、過去にも今の大学にも存在する。
しかし当然のようにその男と繋げられる心当たりは一つとして思い当たらない。
それほどにありふれた名前。
『偽名』。
咄嗟に浮かんだ言葉は、数日前のからは浮かぶ事のなかった単語。

「・・・・・・」
一人になったエレベーター、光る数字を怪訝な思いで見つめる。
高橋という人物が、ただの偶然だとは到底考えにくい。
村上達の関係だと思った方が納得も説明もつく。
数日前まで彼らが居た場所に来た人物。
―――それは、つまり・・・?
軽い音がして、エレベーターの扉が開いた。
「ん・・・?」
部屋へと歩く途中、微かに伝わる振動に気づく。
携帯だと思い至り鞄からすぐさま取り出す。
画面に数字が羅列されている。
一緒に名前が表記されないので、登録していない知らない番号という事になるのだが。
「あ・・・この番号」
見覚えがある。確か、渡されたメモ用紙に書かれていた。
通話ボタンを押して、耳に当てる。
「・・・もしもし」
『もしもし、ちゃんの携帯ですか?』
痺れるほどの低音が受話器から聞こえてきた。
「はい、そうです」
『北山です。こんにちは』
「あ、どうも。こんにちは」
会話をしながら足を速めて玄関へと向かい、誰にも聞かれないよう素早く家へと入った。
『今、家に居るかな?』
「え?あぁ、はい、今帰宅しましたけど」
『今日この後何か用事ある?なかったらちょっとそっちに伺おうと思うんだけど・・・』
「あ、大丈夫です。今日はもう何もないです」
『そう、よかった。じゃあ・・・あと三十分くらいでそっち行くね』
「分かりました。お待ちしてます」
『うん、ありがとう。じゃあ、また後で』
はい、では。と通話を終えてからは靴を脱いで部屋へと上がった。
自室に鞄とコートを置いて、リビングへと足を運ぶ。
時計を確認すると、三時少し前を指している。
突然の電話に少し驚いた。
北山に携帯番号を教えてはいないから、きっと村上から伝わったのだろう。
何をしに来るのかは知らないが、丁度良いので不審な男の話をしておこうとは一人頷く。
暖房とテレビを点けて、紅茶を淹れようとキッチンへ移動する。
「丁度良い・・・か」
タイミング的には抜群だ。
が不審な男の話を聞いた直後に電話が掛かってくる。
言うなれば、がマンションへ戻ってきた丁度に電話が掛かってきたのだ。
もしかしたら、とは眉を潜める。
男が探っていたのはテレビのネタや村上の事ではなく、自身の事ではないだろうか。
周りからの情報を聞き出して、信用出来るかどうかを判断している。
そう、考える事も出来る。
「んー・・・」
頭をカリカリと掻いた。
村上達から疑われているのかもしれない。
実際村上から疑われてなくても、他のメンバーやその裏の組織がを信用しているとは限らないから。
そう思われるのはあまり心地の良い事ではないが、事が事だけに仕方ない。
どちらにしても北山が来たら報告ついでに聞いてみようと思った。
それにしても、確かに安岡は「メンバーかスタッフがまた来る」とは言っていたが、まさか本当にメンバーが来るとは。
極秘ながら村上が戻ったと言えど、ゴスペラーズは今とても忙しいはずなのに。
それこそ村上が戻ったからこその調査やクリスマスライブだってあるだろうに。
何故北山が直々に来るのだろうか。


「あぁ、それなんだけど。なんか本当に解けないんだって?例のファイル」
どこか楽しげな表情でそう言う北山は、宣言通り三十分ほどで現れた。
「あ、はい。酒井さんがなんかCDでやってましたけど、解けなかったって・・・」
「後はこっちが一段落したらって話になったって聞いたけど」
「安岡さんもそう言ってましたね」
「うん」
頷く北山は細いフレームの眼鏡を掛け、口元まで覆っていたマフラーを取り去った。
ソファの下に少し重そうなバッグをゆっくりと下ろす。
「その解けないファイルっていうのが凄く気になってね」
「へ?」
が聞き返すと、僅かにはにかんで北山は眼鏡のツルを押し上げた。
「俺、そういうの凄く惹かれるんだ。是非見てみたくて、ちょっと抜けさせて貰ったの」
「・・・そうなんですか?」
「うん。あ、ちゃんとした用事も持ってきたから。ほら、確約書」
そう言って鞄から取り出したのは、A4サイズの茶封筒。
宛名も何も書かれておらず封もされていないそれから北山が中身を取り出す。
「・・・んん?」
「これ、ちょっと面倒だけど・・・決まりだから」
そう言って封筒と共に差し出される紙、の束。
束と言ってもそこまでは厚くない、せいぜい二十枚と言ったところか。
それでも確約書というのだからてっきり紙ペラだと思っていたにはかなり多く見える。
「え・・・?なんですかこれ」
手に取って左上で綴じられたそれを捲ってみる。
「・・・・・・『次の質問にYESかNOで答えよ』」
それはどこででもよく見るような、アンケートのようだった。
「『口は堅い方だ』・・・、『寝起きは良い方だ』・・・・・・?本当にアンケートじゃないですか」
「アンケートだと思ってもらって構わないよ。本当は深層心理分析の質問なんだけどね」
「心理分析?」
紙から顔を上げて北山を見る。
「うん。・・・んー、ちゃんと約束を守ってくれる人かどうかを分析するもの、だと思って貰っていいよ」
「へぇ・・・心理分析・・・」
そんな事までするのか、とは感心したように用紙へとまた視線を下ろした。
最初の設問YESとNOとの二択の他にも、文で答えるものや絵を書き込むもの、円を黒く塗り潰せというものもあった。
「・・・ん?」
が首を傾げる。
「『犬と猫であれば猫派だ』・・・・・・『カレーをよく食べる方だ』・・・?」
この質問でどんな心理が分かりえるのかには到底理解出来なかったが、あるからには必要な質問なのだろう。
深層心理というのは奥が深い。
ペラペラとページを捲っていくと、最後に綴じられていない紙が一枚だけあった。
「あ、それが分かりやすい確約書、契約書と言ってもいいかもね」
「名前と印鑑でいいんですか?」
「印鑑じゃなくて拇印がいいね」
「拇印?」
「うん、分かりやすく指紋が取れるから」
「・・・なるほど」
通常の会話でそんな言葉出てくる、村上で慣れたつもりだったがやはりドキッとしてしまう。
北山もまたとは違う世界で生活する人なのだ。
「パソコン、借りていい?」
重たそうな四角いバッグを持ち上げながら北山が言った。
「あ、ハイ、どうぞ」
「ありがとう。あ、そういえばもうすぐユージも来るよ」
「ゆーじ?」
パソコンを起動させようとする手が止まって、北山は顔を上げた。
「酒井さん、酒井雄二。俺をここまで送ってくれたの彼なんだ」
「へぇ、車置きに行ってるんですか?」
酒井もパソコンに詳しいと言っていたから、多分パソコン関係で来るのだろう、と理解した。
「車置きにって言うのもあるみたいだけど、なんか駅前に用事があるんだって」
そうなんですか、と相槌を打ちながらはテキパキとバッグの中身を取り出す北山を眺めている。
中から出てきたのはノート型パソコンで、綺麗ではあるが使い込まれているのが分かる。
椅子に座り両方のパソコンの立ち上がりを待ちながら、これ自分のパソコン、と説明された。
「あ、紅茶飲みますか?」
「あー・・・ごめん、俺カフェインの入ってるもの飲めないんだ」
「え?」
「喉の調子のためにね。お酒も自粛してるんだ」
喉の調子。
「だから、お気遣いなく。自分で水も持ってきてるから」
そういえば前に来た時も北山は自分の水を飲んでいた。
その時は警戒されているのかと思ったが、そうではなく、喉のため。
それはアーティストとして立派な心掛けである。
「そう、ですか。分かりました」
「うん、ありがとう、ごめんね」
「いえ」
本当に凄い人達だとは改めて思った。
裏の仕事も表の仕事も一切手を抜こうとしない。
それは当たり前の事かも知れないが、簡単に出来る事でもない。
ゴスペラーズが実力派だと言われるのは努力の結果。
仕事としてだけでは決して成し得ない、歌好きが集まったグループ。


二つのパソコンと向かい合う北山をチラチラと見ながら、はローテーブルで早速アンケートを解き始めた。
テレビも点けない中、キーボードを叩く音とパソコンの駆動音がやけに大きく聞こえる。
北山は非常に気安い人柄ではあったが、どこか一線を引いているようにも見えた。
穿った見方をすれば手の内を見せない喋り方がとても上手な印象。
そこは村上とは違うところ。
安岡はその線引きが少し露骨に見えた。はっきりと裏と表が見て取れる、ストレートな性格のようだ。
そこも村上や北山とも違うところだ。
あまり話していない他の二人はどんな性格なのだろう、はペンを動かしながらぼんやりと思った。
ピンポン、とチャイムが鳴ったのはそんな時だった。
北山が着いてから三十分。駅前まで行って戻ってきたのなら妥当な時間。
「見てきますね」
顔を上げた北山にそう言って、玄関へ向かう。
ドアスコープを覗くと案の定酒井の姿があった。以前と同じように、彼はペコリと頭を下げた。
手早くドアを開けて招き入れる。
「どうも」
恐縮するように頭を下げる酒井に、はいえいえと応える。
リビングへと通すと、酒井は北山に作業の具合を尋ねた。
「どう?」
「まだざっと見ただけだから分からない。・・・ん?何買ってきたの?」
上着と帽子を脱いでいる酒井の足元に置かれたビニール袋。
「あ、あー・・・これはな」
酒井は袋を拾い上げ躊躇う様子を見せてから、何故か質問した北山ではなくの方を向いた。
さんに買ってきました」
「・・・ハイ?」
「どうぞお納め下さい」
袋を差し出される。
おずおずとそれを手にしながら、中身を窺う。
「え、何ですかこれ」
「プリンです」
中に入っている箱が洋菓子屋のそれだった。
「プリン、ですか?」
「はい、プリンです」
「あ、え、あの時のですか?」
「そうです、あの時のお詫びというか、まぁ、はい」
「別に全然気にしないで貰って良かったのに・・・」
「いえ、わたくしめが食べてしまった事には変わりはないので」
恭しく芝居がかったお辞儀をする。
「どうぞお納め下さい」
「あ・・・ありがとうございます」
いえ、と酒井はニッコリと顔を上げた。
その様子を見ていた北山が噴き出して笑う。
「え、ユージ、ちゃんのプリン食べちゃったの?」
「そうなんだよ、うっかりしててさぁ」
「でもあの時のプリン、コンビニの安い奴ですよ?こんなちゃんとしたの貰って良いんですか?」
駅前の洋菓子屋と言ったら、とても美味しいと評判でその分値段も張るという店だ。
特別な日、それこそクリスマスだったりしなければ学生のでは買う事のない、店。
酒井は少し笑って手を振った。
「良いんですよ、さんの楽しみ奪っちゃったの俺だし。取っておいたものを食べられるって凹むでしょう?」
「凹む・・・いや、まぁ、少し」
「その分の上乗せって感じで。まぁ、気にしないで食べちゃって下さい」
「あぁ・・・ありがとうございます。本当にすみません」
「なんのなんの、こちらこそ」
頭を下げてお礼を言いながら、袋をキッチンへと持っていく。
「なんか、海老で鯛を釣ってしまった気分です」
「お、それは良いですね。海老はなかなか美味かったですよ」
酒井の調子の良い返事に北山が笑い、も噴き出してしまう。
酒井と言う人は几帳面で愉快な人のようだった。



ゴスペラーズの中のパソコン担当、と自他共に認めるだけはある。
テーブルでアンケートに向かいながら耳に入ってくる会話にはそう思った。
何を言っているのか全く分からないのだ。
あーでもないこーでもない、と方法を試してみているというのは察せたがそれ以上は全く持って理解不能だった。
陽介はそんなに凄い事をしたのだろうか。その例のファイルとやらに。
は不思議な思いで質問に手早く答えていく。
脇には紅茶カップのみ。
高級プリンは一個しか入ってなかったため、夕食後のデザートに決めた。
そこでふと思い出す。
「そういえば、村上さんの容態はどうなんですか?」
二人が手を止めてに振り返った。
「あぁ、大丈夫だよあの人は。幸い怪我も命に別状はなかったみたいだし」
さんの適切な手当てのお陰だって言ってましたよ」
「あ、本当ですか?それはよかったです」
ホッと安堵する。
ちゃんとした手当ての仕方を学んだわけでもないので、処置があっていたのか心配だった。
大丈夫そうで、本当に良かった。
「犯人見つけてやるライブやってやるって大騒ぎしてるよ」
画面に顔を戻しながら北山が困ったように笑った。
らしさに呆れるような、そんな親しみのこもった表情。
「ライブってクリスマスのライブですか?」
「うん、だからもう忙しいんだよね。リハに裏にって」
村上はすでに死亡している事になっているのに、どうやってライブをやるのだろう。
は疑問に思ったが、すぐさま村上の言葉を思い出した。
情報なんていうものは簡単に改ざん出来てしまうものなのだ。
きっとどうとでもなる―――する、のだろう。
「じゃあ、今日もこの後リハーサルですか?」
二人揃って楽しげに頷いた。
「ま、実際の犯人探しは組織の方でやってるから俺達はあんまりやる事ないんだーぁあ」
北山の後ろから画面を覗き込んでいた酒井が大きく背を伸ばした。
立ち疲れたのか、そのまま傍にある陽介のベッドに腰を掛けた。
「だから俺達はいつものようにゴスペラーズをやってるんだよなぁ?」
「そうだね」
「何時頃にこっちを出ますか?」
時間があるようなら夕食作りますけど、とが言う。
「あ、あー・・・いや、そんなに時間はないかな、北山」
「うん・・・五時過ぎには戻らないとだから・・・」
酒井が時間を見ようとキョロキョロと辺りを見回し、ベッドの枕元にある目覚まし時計を見つける。
それを見ようと上半身を伸ばして、あ、と思い出したように声を上げた。
「そう、いえばっ」
時計を掴み、体を戻す。
「これ、止まってますよ」
に見やすいように時計を掲げて示してみせた。
は、あぁ、と頷く。
数日前村上にも同じ事を聞かれた。
なので、また同じように返す。

「それ、両親の形見なんです。兄がそのままにしようって言って電池すら換えずにいるんです」




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