first news − side other −
瞼が自然に下がってくるのを堪えて、目を擦る。
時計は六時を過ぎていて、点けたテレビでは朝のニュースが流れていた。
当然のように昨夜の葬式の模様がレポートされ、涙を流す自分の姿に安岡は苦笑し続けていた。
が欠伸をする度に、
「寝ていいよ?後で結果教えるし」
「大丈夫です。あ、安岡さん達も寝なくて平気ですか?」
安岡の気遣いに気遣いで返すと、パソコンに向かっていた酒井が大きく身体を反らし伸びをした。
豪快に欠伸をかまして、酒井は達に顔を向ける。
「終わったよ」
安岡がソファから振り返って、が腰を浮かして酒井の顔を見た。
眉間に皺を刻んだ表情で、頭を左右に振ってみせる。
「引っかからない」
「・・・ホントに?」
「あぁ・・・。本当に何なんだこのファイル」
残念そうに腰を下ろすに、バツの悪そうな顔をして頭を掻いた。
「到底素人だとは思えないんだが・・・・・・さん、お兄さんの職業は?」
「え・・・、あぁ、兄はプログラマーなんです」
「プログラマー?」
「はい、でもあの、私パソコンには疎くてどんな事してたのかまでは全然分からないんですが・・・」
怪訝な顔の酒井に慌てて付け足すと、少し納得したように画面に視線を戻し顎に手を当てた。
「ふーむ・・・プログラマーだから、か?」
「とりあえずソレで解けないんだったら、組織に頼んでみようよ」
「そうだなぁ・・・」
いまいち歯切れの悪く返しながらも、それ以外に手立てはないようで酒井は一つ頷いた。
ひとまずの作業が終わり、後は表の仕事が夕方に入ってるとに説明する安岡。
「だから、少し睡眠取りたいんだけど・・・」
「あ、兄のベッド使ってもらっていいですよ」
「ありがとう、じゃあ酒井さんベッド使いなよ。僕ソファでいいから」
パソコンの電源を落とし、目を擦ってまた大きく欠伸をした酒井が椅子から立ち上がる。
「あぁ・・・いいのか?別に俺ソファでもいいぞ?」
「サイズを考えてよ。酒井さんがソファじゃキツイよ」
「・・・そらそうか。んじゃ有難くベッドを使わせ貰うわ」
言ってパソコンの傍に置いていたカップを持ってソファまでやって来る。
「正直、マジ眠いんだわこれが」
「僕も。んー・・・何時にこっち出る?」
「そうだな、一旦事務所に戻って報告と村上の経過聞いてから・・・三時に出れば間に合うんじゃないか?」
時計を見ながら計算する二人を横に、は自分の部屋から行き毛布とタオルケットを持ってきた。
「じゃあ、私も寝ます。えっと・・・どのくらいに起きますか?」
携帯の目覚ましを午後二時にセットした安岡が、それを告げるとは了解した。
何かあるようなら起こしてもらって構わない事と、お風呂やキッチンも適当に使っていいと言っておいた。
「村上さんは言わなくても使ってましたけど・・・」
そう苦笑したに、自分達のリーダーがすみません、と呆れたように酒井と安岡が頭を下げた。
最後には使っていたティーカップを台所へと運び、軽く洗う。
の兄のベッドへ腰掛けジャケットを脱いで寝支度をする酒井。
同様に安岡がソファへと寝転がり毛布とタオルケットを手繰り寄せていた。
洗い終わると、はタオルで手を拭いて時計と二人を確認し、おやすみなさい、と頭を下げる。
「電気消しますね」
返事を聞いて両方の部屋の電気のスイッチを切った。
暗くなるが、カーテンの引いた窓からようやく昇り始めた太陽の光が少しばかり漏れていた。
「ねぇ」
部屋へ向かおうとしたの背中に、安岡の声が掛けられる。
振り向いて首を傾けると、安岡は上半身を起こしてを見つめていた。
薄暗がりの中、先ほどまでの気安さはなく、その瞳はどこまでも深く真剣で冷たい光を放っていた。
「どうしててっちゃんを助けたの?」
「え・・・」
てっちゃんを助けてくれてありがとう、と先刻言った同じ口から出てきた言葉とは思えず驚く。
―――「何で俺を連れてきた?」
村上も同じ質問をに向けた。
「倒れてたんでしょ?何でそんな男を救急車も呼ばずに助けたの?」
―――「血まみれで、倒れてる男が居て。何で関わろうと思った?」
「それは・・・」
村上には適当な事を言って返した。
「疑うような事を言ってごめん。でも・・・何か理由がないとわざわざ助けようと思わないでしょ」
「安岡」
の立っているところからは見えない、酒井の声が咎めるように名前を呼ぶ。
しかし安岡はその瞳を逸らそうとせず、ジッとを見上げ続けた。
耐えられず僅かに視線を落としてソファの淵を見ながら、口を開く。
「・・・倒れてる人を助けるってそんなに変な事ですか?」
「・・・・・・変じゃない。でも救急車か警察呼んで終わりだと思うよ」
「それは、村上さんが呼ぶなって言ったから」
「そんな怪しい人を匿ったのはどうして?やっぱ何か期待して?」
「安岡、やめなさいっての」
再度の制止に安岡はチラリと酒井の方へ目をやる。
「酒井さんは気にならないの?」
「・・・・・・」
期待して、というなら確かに期待をしていた。
一瞬本当に兄かとも思ったし、もしかしたら兄へと繋がる何かかもしれないとも思った。
は苦く笑いながら顔を上げると、そのまま安岡を見た。
「声が・・・似てたんです」
「・・・?」
安岡が眉を潜めるのが伝わる。
「村上さんとお兄ちゃんの声が、本当にそっくりなんです」
「・・・・・・それで?」
「だからです」
今度は逸らさず、探るような安岡の瞳を見つめ返す。
安岡は慎重に言葉を探して口を開きかけたが、そのまま言葉にならずに口を結んだ。
「村上さんには言ってないんですけどね・・・。数日間お兄ちゃんが帰って来たみたいでとても楽しかったです」
薄ぼんやりとした部屋の中、彼女は弱く微笑んだ。
それじゃおやすみなさい、とまた頭を軽く下げて身を反したに安岡の制止が掛かる事はなかった。
カチャ、と静かにリビングのドアが閉まって、少ししてもう一つドアの音。
それっきり、リビングには沈黙が落ちた。
何かを考えていた安岡が身体を横にしようとすると、
「やすおかぁー」
ソファの背もたれに遮られたさらに向こうから含みのある声で呼ばれ動きを止める。
ベッドの布団に潜り込みながら、酒井は言う。あまり大きくない声だったが安岡には十分届いた。
「突っ込みすぎだぞ」
「・・・・・・敵の可能性があるなら探っても――」
「本当に関係ない可能性も忘れたら駄目だろう」
「・・・・・・」
黙った安岡に酒井はやれやれと嘆息し、枕元にある目覚まし時計に目をやって、
「げっ・・・・・・って、あ、これ、止まってんのか」
小さく呟いた。
数時間後、昇り始めた太陽が真上を少し通り過ぎた頃。
はベッドの上で目を覚ましたが、それは目覚まし時計の音での起床ではなかった。
少し驚きつつ時計に目をやってさらに驚いた。
「過ぎてる・・・」
安岡達が二時に起きると言っていたので、少し早めに起きて朝昼兼用のご飯の支度をしようと思っていたのに。
そんなときに限りとても珍しい寝坊をしてしまい、は慌ててベッドから起きると自室のドアを開き、リビングへと向かった。
ドアを開けて、鼻をくすぐったのは朝食の匂い。
「あ、おはよう」
そう挨拶したソファに座る酒井の姿を見て、首を動かしキッチンで動き回る安岡の姿を見た。
「おはよー」
「・・・・・・お、はようございます・・・」
まだ覚醒しきっていない状態の、乾いた声で呟くように返す。
フライパンをずらして、カチャカチャとなにやら朝食を作る安岡に、は驚きを隠せない。
「あの・・・」
「あぁ、台所勝手に使わせてもらってるね。ちゃんの分もあるから一緒にどうぞ」
「・・・え、あ、すみません・・・ありがとうございます」
軽く頭を下げると、安岡は寝る前に見せた冷淡さはどこへやらでニッコリと笑ってお皿を手にしリビングへ運ぶ。
「卵とハム、焼いたんだ」
の前を通過する際に、見せるように傾けた皿には洋風の朝食。
スクランブルエッグに焼いたハムを添えた、その香ばしい匂いがの食欲を刺激する。
ローテーブルにそれを置いて、またキッチンへと戻っていく安岡を見て、は自分の寝起き姿を思い出し、ハッとした。
「えっと、着替えてきますね」
「はーい」
体を返すと、キッチンから、あぁ、という声。
「ちゃん、昨日っていうか今朝だけど、ごめんねーあんなこと言って」
とてもサラリとした謝罪に、は一瞬何かと思ったがすぐに思い出す。
「ちょっと必死になりすぎたみたい、ごめんね」
「いいですよ」
安岡の手を顔の前に持ってくる動作に、首を振って応えた。
軽い謝罪だったが、その言動には一切嫌味がなく素直に受け取る事が出来た。
部屋に戻り着替えを済ませ洗面所で洗顔をしてから再びリビングのドアを開けた。
「先に食べてるよー」
と笑顔の安岡。
「いえ、すみません。私の分まで作ってもらっちゃって」
そう言いながら空いている場所に座ろうとして、ソレに気づいて動きを停止する。
「別にいいよこれくらい。・・・ん?どしたの?」
不思議そうな安岡の声に、テレビに目をやっていた酒井が視線をにやった。
は口を開けたまま酒井が手に持っているものを見ていた。
「あ・・・それ・・・・・・」
「え、あぁ、これ。冷蔵庫にあったので・・・・・・まずかった?」
気まずそうな酒井が持ち上げて見せたのは、が食べずに取っておいたプリンだった。
「えっと・・・いえ、私が自由に食べていいと言いましたし」
「あー・・・ごめん、てっきり昨日の残りかと思って・・・」
かなりバツが悪そうにプリンとを交互に見て、何度も頭を下げる。
その度にも、自分が言わなかったのが悪い、と苦笑したまま頭を下げた。
「ごめんなさい、気にしないで下さい。酒井さんのせいじゃないですし、また新しいの買いますんで」
その光景を楽しげに笑いながら安岡は自分の作った朝食兼昼食を口に運んでいた。
三時になって、一足先に車を取りに行った酒井に続いて、安岡が玄関口に立つ。
一通りの挨拶と多分誰かまたメンバーかスタッフが来るであろう事をに告げた。
「僕らの事を秘密にしますよっていう確約書を書いてもらう必要があるんだ」
「あ、はい。村上さんから聞いてます」
「そう。お兄さんの事もこっちで調べてみるから。えっと、ごめんね今のが終わったらになっちゃうと思うんだけど・・・」
「全然構いませんよ。村上さんの怪我お大事にって言っておいてください」
快く了解する安岡を、笑顔のまま送り出す。
他の人に見られると厄介なので、玄関先までの見送りはしない事になっていた。
目の前でドアが素早く閉まった音が、静かになった部屋に思った以上に大きく響いた。
挙げていた手を下ろして、息を吐いた。
僅かに聞こえる気がする安岡の遠ざかる足音。
リビングで点けっ放しになっている昼過ぎのニュースバラエティ。
数日前に戻った玄関口の靴の数。
「・・・・・・」
ドアに鍵とチェーンを掛けて、リビングへと短い廊下を歩く。
リビングに入る、誰も居ないソファに三人分のカップが置かれたテーブル。
「・・・・・・はぁ」
大きく嘆息したのは、大役を終えた疲れを吐き出したものでは、ない。
その日結局何もやる気が起きず、は冬晴れの午後をぼうっとリビングで過ごした。
何となく、すぐにまた誰か来るのではないかと思っていたが、そんな事もないまま一日が過ぎた。
クリスマスが一週間を切り、街中どこもかしこもクリスマスムード満載だった。
そんなムードとは関係なくは一昨日に安岡達が帰ってから、今まで通りの生活を送っていた。
久々に大学のゼミに顔を出し、卒業論文の最終確認を担当の教授と済ませた。
ゼミで仲良くなった友達はまだ半分と言ったところらしく、頭を抱えていた。
「はいいね、もうほとんど終わってるんだから。クリスマスも遊べるもんね」
少し遅い昼食を取りながらその友達は笑った。
も彼女を励ましつつ笑ったが、クリスマスに予定が入っていない事は言うまでもなかった。
去年一緒に過ごした女友達はみんな卒論か彼氏で、すでに先約が埋まっている。
昼食を食べ終え少しお茶をしてから、は大学を後にした。
「ゴスペラーズのニュース見た?」
ゼミの雑談中にそんな話題も出たが、は「見た」とだけいつも通りに返した。
元々口は堅い方であり、特別誰かに喋りたいとも思わなかった。
ただ唯一教えたいと思えるのは村上と似た声を持った兄の陽介だったが、その陽介は居ないのだから喋りようもない。
そこかしこにクリスマスソングが陽気に流れ、寒さの中にもどこか浮ついた雰囲気を醸し出している。
は、ふと地元の駅の一歩手前の駅で電車を降りて、駅ビル内にある大きなCDショップに寄った。
クリスマスソングやウィンターソングが賑やかな店内。
「・・・ゴスペラーズ、ゴスペラーズ・・・・・・」
友達の付き合いくらいでしか入らないCDショップで、目当てのCDを探すのは少し手間取った。
しかし、よく見てみればリーダー村上の追悼という名目で一画がゴスペラーズ一色だった。
その中のベストアルバムを手に取り、葬式の場で彼らが歌っていた「promise」という曲が入ってる事を確認するとレジに持っていった。
自分が欲して買った初めてのアルバムになった。
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