執事が人気と聞いたもので←タイトル


「バースデーパーティーをやるわ」
部屋に入ってきて屋敷の主は唐突にそう言い放った。





洗い物の音と、穏やかな鼻歌が厨房に流れていた。
昼食の片付け、今日もよく食べてもらえて気分が良い。
小食のキタヤマも今日はちゃんと食べたのでクロサワはホッとしていた。
夕食はどうするか、考えながら思い浮かんだ歌を口ずさむ。
すると、そんな厨房に、珍しく主が姿を現した。
「バースデーパーティーをやるわ」
開口一番、小さい主人はそう言った。
「バースデーですか? どなたの?」
クロサワが蛇口を閉め、の方を向く。
「……キタヤマよ。言っとくけど、本人には内緒だからね」
「サプライズパーティーってやつですか?」
「そう。だからクロサワには飛びっきりの料理を作って欲しいの。お願い出来る?」
手を合わせて首を傾げるに、クロサワはニッコリと微笑む。
「勿論ですよ。とびっきりの料理を作りましょう」
言えばの表情がパァッと明るくなる。
「じゃあ、私他の準備するから!」
忙しなく踵を返す少女は、ドアまで戻り思い出したように声を上げて振り向いた。
「ちゃんと六人分だからね!」
その言葉にクロサワは一瞬驚いて、すぐさま嬉しそうな笑みになる。
「ハイ、お嬢様」
恭しく頭を垂れて、その小さな姿を見送った。
パタン、と閉められた音を聞いてクロサワは頭を上げる。
「元気な人だなぁ……」
柔らかい笑みが零れる。
料理を任されたからには腕によりをかけて作らないと。
クロサワはシャツの袖を改めて巻き上げて、気合を入れる。
キラリと光った薬指のリングに、おっと、と動作を止める。
「料理中は外さないと」
食材を扱う時だけ外す、シルバーのリング。
一度、優しく口付けをしてそれを外した。リングは無くさないように定位置に置く。
そうして、左耳にそっと手を当てる。
片方だけ空いているピアス。綺麗な紅玉が輝く。
目を閉じて、料理が美味しくなりますように、と呟いた。
クロサワが料理を作る際に必ず行う行為、儀式だった。

唯一昔の自分と繋がりのあるピアスとリング。
何故リングが薬指にはめられているのか、ピアスが片方だけしか空いていないのか。
今のクロサワには知りえない。
屋敷に来る前の事を、ほとんど覚えていないのだ。
けれど、どちらも自分にとってとても大切なものだという事は理解出来た。
そしてそれが決して楽しいだけの記憶でない事も何となく感じでいた。
何故か作った事もないはずの料理を作る事ができ、プロ並のその腕前がの目に留まった。
シェフとして屋敷に呼ばれたが、最初沢山居た料理人達は次々と居なくなってしまった。
屋敷の主が家を空ける事が多くなり、幼い娘しか居なくなったためである。
それでもクロサワは屋敷を去る事はなかった。
の教育係と気が合ったから、という理由も少なくないが、クロサワはどうしても離れられなかった。

「美味しい……」

そう呟き、柔らかく微笑むに誰かを重ねた気がしたから。

一つ深呼吸をして、ゆっくりと目を開いた。
「……よし、やろう」
笑顔で手を打つと、冷蔵庫の中を確かめるように動く。
美味しいと微笑んでくれる主人を思い浮かべて。





遊戯室の隅にあるピアノを弾いていた。
きちんと調律が行き届いている綺麗な音色の中、ガチャリと遠くから音がした。
「綺麗な曲ね」
声に振り向けば、ドアから小さな主人が顔を出していた。
手を止めようとすると、手振りで続けるよう言われる。
彼女は傍までやってきて、椅子に腰掛けると目を閉じた。
足をプラプラさせて楽しげにリズムを取る女の子に、キタヤマは優しい笑みを漏らす。
「何の曲?」
「昔聞いた曲ですけど、覚えてないところは適当に」
それを聞くとは少し驚いた後に、ニッコリと嬉しそうに笑んだ。
一区切りをつけて鍵盤から手を離すと、パチパチと拍手が聞こえる。
それにキタヤマは照れくさそうに頭を下げ、の方へ向く。
「それで、どうかしましたか?」
聞かれたはハッとして目的を思い出した。
「バースデーパーティーをやるの」
「バースデーパーティー…ですか?」
「えぇ」
「この時期誕生日の人なんて居るんですか?」
の誕生日がもう少し先なのは知っているが、他の人達のまでは把握出来ていない。
「ヤスオカよ」
「そうなんですか」
「そうよ。あ、ヤスオカには内緒よ、驚かせるんだから」
分かった?と念を押すにキタヤマは楽しげに頷く。
そのキタヤマの顔色を窺いながら、は少し心配そうな顔になって聞く。
「キタヤマ、今日は調子良さそう?」
午前中に受けた通い医者の話では良好との事だったが。
「えぇ、様のお陰で。今日は大分調子が良いです」
「そう、それは良かった」
本当に安堵した様子の
キタヤマはその気遣いが有難く、柔らかい笑みを浮かべる。
キタヤマの身体は生まれつき強くなく、激しい運動などは出来ないと言われていた。
彼から運動能力を取った代わりなのか、神は彼に多分な知力を与えた。
物心ついた頃から英才教育とは名ばかりの実験動物にも似た扱いを受けていた。
初めこそ息子の底知れない知能に喜んでいた親だったが、彼らは次第に子供を恐れるようになった。
そして。
あまり覚えていないような、思い出したくないような年月が過ぎる。
全てに諦観していたキタヤマの心に光を当てたのが、目の前に居る少女だった。
「キタヤマには、食堂を飾って欲しいの」
「誕生日パーティー仕様にですか?」
「そう、別に豪華じゃなくていいわ、色紙のリングとかで十分。平気かしら?」
「それくらいなら大丈夫ですよ」
気遣わしげな瞳に、ニッコリと頷いてみせる。
「他の人にも適当にやる事言ってあるから、それだけお願いするわ」
「お任せを、プリンセス」
「歌を歌う時は食堂にあるピアノを使いましょ。弾いてくれる?」
ピアノを与えてくれたのはだった。
その音色の虜になった自分の為に遊戯室のピアノも調律し直してくれた。
返しても返しきれない多大な恩恵に、キタヤマは頭を下げる。
「勿論ですとも」

それじゃあ、と忙しなく去っていくを手を振って見送る。
ピアノを見下ろし、一つ白鍵を押す。
ポン、と澄んだ音色。
ピアノ弾きとして使用人として自分を必要としてくれる人が居るとは思わなかった。
そうキタヤマは微笑む。
いつでも彼の周りは彼の知能が弾き出す利益のお零れを狙う人ばかりだった。
その一方で身体の弱さを本当に気遣う人は居なかった。
「恵まれてるなぁ」
指を添えて和音を奏でる。
全てが円満とまでは言わないけれど。
主人も仲間も、それぞれに問題を抱えながらも、ここには穏やかな時間が流れている。
その時間はまるでピアノの和音のようだとキタヤマは思った。
しばしピアノの音を聴き、満足したようにピアノの蓋を静かに閉めた。
「まず、色紙か」
言われた仕事を始めるべくシャツの腕を捲くり、食堂へと向かった。





広間の掃除も終わり、昼食後の食休みを読書で過ごしていた。
書庫に入る許可を貰っているヤスオカは、無造作に本棚の端から読み進めていた。
好みはあれど、本に関してはかなり雑食だ。
シェイクスピアからファンタジー、お堅い論説から俗物までなんでもござれである。
今読んでいるのはミステリー小説。
カーテンの引かれた柔らかい日差しが注ぐ中、ヤスオカは淡々とページをめくる。

カチャリと控えめにドアが開き覗かせた顔は主人のもの。
様、どうしたんですか」
パタリと本を閉じて立ち上がる。
は悪戯っ子の笑みを浮かべたまま口にする。
「バースデーパーティーをするわ」
「バースデー? えっとどちら様の?」
「ムラカミよ」
珍しそうにヤスオカは眉を上げる。
「あの人誕生日あったんですか」
「ないわけないでしょう」
言いながら本を元の場所へ戻し、改めてへかしこまる。
「それで私は何をお手伝い致しましょうか」
「話が早くて嬉しいわ。ケーキを買ってきて欲しいんだけど」
「ケーキ?」
「飛び切り大きいの。みんなで囲んで食べる丸いやつがいいわ」
あぁ、と一つ手を打つ。
「ホールですね」
「そうそれ! 街に行ってくれるかしら?」
「勿論ですよ」
にこやかに返事をした。

じゃあ早速、と書庫を出て先を行くの後に従うヤスオカ。
財布を受け取りながら歩いていると、エントランスホール手前ではぴたりと足を止めた。
「どうしました?」
「やっぱ裏から出て頂戴」
「え?」
「裏のドアよ、ほら」
突然の主人の命令に困惑しつつも、グイグイと押されるがままに庭に通じる裏口へと歩く。
不思議に思っていると、ヤスオカの鼻に微かな香りが掠めた。
あぁ、とヤスオカは納得する。
「じゃあ気を付けてね。ロウソクはいらないわ」
裏口から手を振られ、行ってきますと手を振り返した。

優しい方だ、とヤスオカは笑みを浮かべる。
先程の匂いはタバコの匂いだ。
きっと誰かがホールで吸っていたんだろう。
それに気付いてはわざわざ裏口から出るよう言ったに違いない。
「優しいなぁ」
庭にある背の低い木戸を開け道路へと出る。
自分でも情けないと思うが恐くて仕方ない。

全てを燃やし尽くす火。
家具だった物も、宝物だった物も、思い出の場所も。
大切だった人も。

少女が声を掛けてくれなかったら今頃自分はのたれ死んでいただろう。
全てを恨みながら。全てに絶望したまま。
「……っ」
背中の火傷が疼くのは気のせいだ、と振り切り足を速める。
から預かった財布を強く握り締め、ヤスオカは街へと走りだした。





エントランスホールの隅で煙草を吹かしていると、通路から主が現われた。
煙草をくわえたまま頭を軽く下げるムラカミ。
「よう」
「よう、じゃないわよ。煙草は自分の部屋で吸ってって言ってるでしょう」
の怒りを見て、ムラカミは眉を上げる。
「あれ、ヤスオカの奴居たのか。そりゃ悪い事をした」
髪をガシガシ掻き、サングラスの中の目が細められた。
反省を見せるもやめない煙草に、は諦めたようにため息をついた。
「ムラカミ、バースデーパーティーをやるわ」
「は? 誰の?」
「サカイよ」
ふうん、とサングラスを指で押し上げる。

全く敬意の欠けらもないような態度のムラカミ。
彼はと一番付き合いが長い。
少女の両親がまだ屋敷に居た頃から仕えている、いわば教育者だった。
そのため仕える主と言えど態度が気安いものになってしまう。

「バースデーパーティーねぇ。普通は使用人のためになんかしないんだが」
ムラカミは静かに嘆息する。
教育者として階級に則ったそれなりの立ち振る舞いを教えるのが彼の役目なのだが。
「別にいいじゃない。誰が見てるわけでもないわ」
が自分の立場を理解している事をムラカミは知っている。
誰に見せるわけでもない屋敷内の事、の好きなようにさせていたい。
「……まぁ、な」
「でしょう」
にこりと勝ち気に笑む少女にムラカミは静かに口角を上げる。
形式張らない今の主はムラカミの密かな自慢であった。
大きく煙を吐き出しながら、短くなった煙草を手持ちの灰皿に潰す。
「で? お嬢様はオレに何がさせたいの?」
「……灰皿を部屋に持っていきなさい」
気を利かせて聞いたムラカミには低く言う。
「あーハイハイ。まったくアイツが来てから煙草が吸いづらくて困る」
思わず嘆息すると、の視線が咎めるものになった。
「ムラカミ。誰にだって事情はあるでしょ」
失言だったと気付いて、口を結ぶがすでに遅い。
「貴方がサングラスで隠したいものがあるようにね」
「……」
ムラカミの眼鏡の奥を知っているのはごく少数。
その一人に真摯に見つめられ、ムラカミは素直に謝罪を口にする。
「わりぃ」
色の濃いサングラスを指で押し上げた。
近頃はあまり気にしなくていい生活が続いていたから、失念していた。
自分にも無闇に触れて欲しくない事柄がある事を。
暗い中細めるその瞳の色。

俯いたムラカミに、は一つ小さな息を落とすと、笑みを浮かべる。
「まだその眼鏡を外す気にはならない?」
「……」
「ここには貴方のそれを貶したり好色の目で見たりする人はいないわ」
普段は決してしない促しに、ムラカミの表情が苦いものに変わる。
「私、ムラカミの色、綺麗で好きよ?」
「…………」
口を結んだまま応えないムラカミに、は苦笑して意図的に声を明るくする。
「そう、パーティー! ムラカミには音楽を選んで欲しいの」
「……音楽?」
「得意でしょう?」
話の変わりように一瞬訝るが、すぐさま理解すると口元にいつもの笑みを浮かべた。
一歩下がり、使用人としての完璧な立ち振る舞いでうやうやしくお辞儀をする。
「えぇ。お任せを」

お願いするわ、と気取った返事をするとはエントランス正面の階段を上っていった。
それを頭を下げたまま見送り終えると、そっと顔を上げる。
「お節介だな……」
そうムラカミはぼやきながらもその表情はどこが嬉しげだ。
無意識のうちにポケットから煙草を取り出していて、手を止める。
「おっと、あぶねあぶね」
残り少ないシガレットケースをポケットへ戻した。
灰皿を手に持ち自室へと向かう。
「ハッピバースデーフーフーン」
メロディを口ずさみながら背を丸め楽しげに笑った。
主人から任された重要な仕事をこなさなければ。





自室、窓際にある小さな机と一脚の椅子。
足を組み椅子に座り、難しい顔でサカイは盤面に向かっていた。
その様子をベッドから灰色の猫が下らなさそうに見つめている。
窮地に陥っている白のキングをどうやって助けるか、眉を潜め唸る。
窮地に陥らせたのは自分、で、救うのも自分。
自分相手にどこまで手を抜かないで行けるか、その辺りがサカイは気に入っている。
扉が開き、小さな影がサカイに駆け寄ってきた。
「サカイ、バースデーパーティーをやるわ」
顎を擦っていた手を止め、主人を見やる。
「はい?」
「パーティー。誕生会よ」
「誰のです?」
「クロサワのよ」
ソファから立ち上がり、意外そうな表情を浮かべる。
「へぇ? あの人誕生日覚えてるんですか」
「え、えぇ」
「だったら盛大にお祝いしなくちゃですねぇ」
組んでいた足を崩して立ち上がる。
中断されたチェスの盤面に気づき、はジッと見つめ笑みを零す。
「随分チェスが気に入ったみたいね」
「それはもう。俺の居た所ではカードの賭け事ばかりでこういうゲームはなかったですから」
楽しそうに口角を上げるサカイが思いついたように駒を動かした。
これで、白のキングが救われた。
救われたばかりか今度は黒のキングに暗雲が立ち込める一手だ。
満足げに頷くと、ベッドへと歩み寄る。
「すみませんね、すぐ準備します」
「ゆっくりで良いわよ。サカイには街まで着いてきて貰いたいの」
「いいですよ。街のどこ行くんですか?」
言いながらベッドの上に置かれていた金属製の右腕を左手に持った。
軽く右腕の袖を捲くり、肘にある金属の接続部分に義手を合わせカチャリとはめる。
確認するように右手を動かすサカイを見ながら、は口を開く。
「義手も慣れたみたいね」
「えぇ、おかげさまで。重さも大分気にならなくなりました」

サカイは街の港一辺を牛耳るマフィアの幹部だった。
親の居ない同士でやっていたマフィアごっこが少しずつ大きくなってしまった組織。
生きるためだけの盗みや恐喝だったものが変わっていった。
その事に戸惑っていたサカイだが、それでも仲間と馬鹿をやるのは楽しかったと思う。
そうやって大切なものを見落としていったのだ。

「そうだわ、街に行くついでにメンテナンスもしてもらいましょう」
「メンテナンスですか? そんな頻繁にしなくても大丈夫だと思うんですが……」
サカイが義手を摩りながら言うと、は少し眉を上げた。
「ダメよ、サカイはそういうところが大雑把なんだから」
「はぁ、すみません」
自分より遥かに年下の少女に叱られ、サカイは頬を掻いて謝る。
以前の仲間が今の自分を見たらどう思うだろうか。蔑むか、笑うか、それとも呆れるだろうか。
もしそうだとしても自分には関係ない。
もうあそこには戻るつもりは欠片もないから。

助けてくれてありがとう、と少女は言った。
血が溢れ痛みすら感じない腕を押さえながら、サカイは笑う。
お礼を言うのは自分の方だ、と。
サカイの言葉に少女は首を傾げ、彼女の従者も怪訝な顔をしたがサカイは満足そうにその場で意識を失った。
目を覚ましてみれば、綺麗な天井と、あるべきところにない右腕と、少女の笑顔があった。

「それじゃ行きましょ」
言いながらはサカイのベッドを見て、少し笑う。
見送るように灰色の猫が座り直しこちらを見ていた。
「本当にその子はサカイの事が好きね」
「俺も傷物だから仲間だと思ってるんじゃないですかね」
猫の尻尾は短く、右目は傷ついて開かない。
腕のないサカイへの親近感か、他の人には一向に懐かない癖にサカイの部屋には頻繁にやってきていた。
の眉が僅かに寄る。
「そういう言い方、私は好まないわ」
「……失礼しました」
かしこまって頭を下げるものの、サカイの口元には笑みが浮かんでいた。
いつも見下されてきた自分を一人の人間として扱ってくれる主人。
その主人の願いを叶えるため、ようやく板についてきた動作で部屋のドアを開けた。





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