ANTS


警視庁の中でも特に地味で何かと敬遠されるその部署は、庁内でも一層人気のない場所にある。
見栄えだけはしっかりしているはずの警視庁で唯一旧館が見え隠れする部屋だった。

「端的に言えば物置だね」
がそう口にすると、デスクで機械をいじっていた同僚が顔を上げた。
「何が?」
「ココが」
「あぁ元資料室だからね、確かに物は多いよなぁ。でもいいじゃない、俺は落ち着くよ」
そう機嫌よさげに笑む彼は、桐橋 仁。
と同時期にココへ配属されたが、実際互いに別の部署で働いていたので本当の同期というわけではない。
それでも少ない同僚のため、間柄は自然と気安いものになる。
「それがさ、私も落ち着くんだ。…まぁ、でなければとっくに辞めてるよねー」
「ねー」
二人で首を傾け妙な笑顔をする。
今までに配属された人が居ないでもなかったが、なんだかんだと皆すぐに辞めてしまう。
こうして残っているのは、と仁、そして彼らの上司だけだ。
「ねぇ、警部遅くない?」
仁の言葉に時計を見れば、もう夕方過ぎの頃合い。
「そろそろ戻ってくるはずだよ。電話あったし」
そう言った丁度に、通路から足音が響いてきた。
二人で顔を合わしてタイミングの良さに笑う。
古いままの通路に舶来品の靴はよく響く。そんなハイカラな物を履いてこんなところにやってくるのは一人しか居ない。

「ただいま戻った」
硝子のはまった扉を開けて現れた人物に、二人は立ち上がって応える。
「おかえりなさい。駒形さん。お疲れさまです」
「幽霊図書館、どうでした? 本物でした?」
二人の出迎えに、駒形は一瞬たじろぎながら帽子を取り、
「いや、偽物だった」
帽子掛けへと投げる。帽子は綺麗に弧を描いたが、ポールとは外れ、仁の傍へと落ちた。
「はずれー」
仁が楽しげに言って拾い上げ、その場から放って帽子掛けに収める。
が口笛を吹き、仁が得意げにすると駒形は軽く舌打ちをした。
成功率が低いのを気にしているらしい。
「偽物だったんですか?」
駒形の上着を受け取りながらが聞く。
駒形は頷き自分のデスクへと足を進める。
「結局のところ図書館職員による偽装盗難というところか。まぁ実際盗んだわけでもなくあちこちの本棚に移してるだけだったようだ」
「ほら、私の言った通り! 犯人は図書館員」
唐突に指を鳴らし仁を指差す
「でも本の移動は俺の推理の当たりじゃん。引き分け引き分け」
その指を軽く払いながら仁が応える。
いつもの光景に駒形はやれやれと苦笑し、椅子に腰掛けると真面目な顔を二人に向けた。
「だが事件とは別に本物が目撃された」
言うと二人は意外そうに駒形のデスクへと近寄る。
「誰がどこでですか?」
の質問に駒形は眉間に皺を寄せ、間を置いて答えた。
「俺が。図書館で、だ」
不機嫌に聞こえる声色は単に恐いだけなのだと、二人は気付いた。
「その図書館員じゃないんですか?」
「いや、それはありえない。彼……犬飼さんも一緒に目撃してるんだ」
寒気がするとばかりに腕を擦る駒形。
はそんな駒形のために夏だが温かいミルクティーを用意してやる。駒形お気に入りの銘柄だ。
自分のデスクに座り、仁は緊張感もなく朗らかに口を開く。
「それじゃまた調査行くんですか?」
「あぁ、今度はお前達にも来てもらうぞ」
仁は背筋を伸ばし、は紅茶の用意の手を止め、上司を真っ直ぐ見る。
「「はい」」
「……」
臆する事のない部下の返事に、駒形は若干のバツの悪さを滲ませた。
「駒形さんは本当に向いてませんねぇ」
ミルクティーのカップを駒形に差出しながらは軽く笑う。
お礼を言いつつ顔をしかめる駒形。
「仕方ないだろう。恐いものは恐いんだもの」
決まりの文句には吹き出し、仁は軽い笑い声を上げた。
駒形の経歴は華々しい、スコットランドヤード留学、英語堪能、広い知識と実にエリートだ。
そんな経歴とは裏腹な極度の恐がりは、偉ぶった部分を差し引きしても好ましく感じられる。
温かいカップに口付け、駒形はふぅと息をついた。
「ところで、あれは?」
「あぁ、仁君が壊れた扇風機拾って直してくれたんですよ。ほら最近暑いですし」
が言って仁がジャーンと手で示す。
今朝まではなかった物が部屋の端に置かれていた。
一応窓があるとは言え、日当たり最悪の場所。空気を混ぜるだけでも涼しさは大分変わってくる。
駒形は苦笑してカップを傾ける。
「正直俺、お前は刑事じゃなくていいと思うんだが」
「いいじゃないですか、仁君のおかげで快適です。仕事もはかどりますよ」
仕事、と駒形は思い出したように片眉を上げる。
「そういえばそっちは何か収穫あったか?」
「重要な収穫とは言えませんが…」
が自分のデスクから一枚の紙を取り、駒形の前に置いた。
「これは?」
「私が覚えてる限りの葛城楓の出演作品と、出演予定作品の一覧です」
ズラリと並んだ昨品名と役名を眺めながら、駒形は口周りを撫でる。
「確かか?」
「一応確認もしました。確かです」
「ふむ…お前もその記憶力は他で活用出来そうなものだがなぁ」
感心したような呆れたようなで駒形が嘆息する。
仁とはそれぞれ各部署で秀でた能力を持ったエリートだった。
「ココでも役に立ってるじゃないですか、ねー仁君」
「なー」
そんな二人が駒形の元にやってきたのは各自事情があるからだが、どちらにせよ駒形にとっては心強い部下だ。
二人も駒形を存分に慕っている。
「あぁ、ついでに新しい写真手に入れましたよ」
仁が立ち上がって一枚の写真を渡す。見目麗しい女が写っているそれを受け取ると駒形は一つ頷く。
「うむ、ではこれは天城に渡すか」
聞き慣れない人名に仁が首を傾げ、が不思議そうな顔をする。
「天城…先日駒形さんが会った書生でしたっけ?」
「あー、あの凄く面白くなかった小説の?」
「そうだ。やつは探偵を始めてな。捜査にも協力してもらおうと思う」
へぇ、と二人は眉を上げる。
「明日改めてその天城に会う予定だ」
興味津々といった表情で仁が体を乗り出す。
「その天城って人はどんな人なんです?」
「そうだな、一言で言うなら……蟻、だな」
「アリ? アリってあのアリですか?」
仁が指で小ささを示してみせ、駒形はそれに頷いた。
「あぁ。自分の能力がどれほどのものか自覚していない……」
言いながら駒形がふと目の前の部下達を見やる。
そして、少し笑った。

「お前達みたいな奴だ」





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駒形さんが天才肌の天城に対して寛大なのは他にもそういう人を知ってるからじゃないかと。