五十歩と百歩


報告書がひと段落ついて、背を伸ばしながら隣りの同僚に顔を向ける。
「芹、お昼ご飯行く?」
「ん? あ、もうこんな時間。行く行く。も?」
「うん、一緒に行こっか」
「あぁ、いいよ」
が立ち上がり、辺りを見渡す。
コーヒーを淹れている先輩刑事を見つけて声を掛けた。
「伊丹先輩、お昼食べました?」
「あ? お前らが報告書と格闘してる間に食ったよ」
「そうですかー。じゃあちょっと出てきますね」
バッグを手にして芹沢と出口へと向かう。
伊丹は出て行く二人を何とも言わずに見送った。


今日は天気が良い。
空がどこまでも容赦なく澄み切っていて空気も新鮮に感じる。
二人はサンドイッチが美味しいと評判の店で昼食を買うと、公園のベンチにやってきていた。
「んー、美味い!」
「本当? あぁ、やっぱりそっちにすればよかったなぁ」
「反対側から食べる?」
「食べる! 私のも食べていいよ」
「どーも」
互いのサンドイッチを一口食べる。
「「美味しいー」」
重なった声にもぐもぐと咀嚼しながら二人で見合わせ笑った。
「お前らは女子高生か」
唐突に振って湧いた声に、二人は顔を上げる。
「あ、亀山先輩。杉下警部も」
が現れた男達の名前を呼ぶ。
亀山が手を上げ、一歩後ろで杉下が会釈をして応えた。
二人の手にはコーヒー屋の紙袋が収まっているのを見てが口を開く。
「お二人もお昼ですか?」
「えぇ、今日は天気がよくて気持ちがいいですからね」
「本当ですよね」
にこやかに話す杉下に、も思わず笑顔になる。
「あ、、飲み物貰っていい?」
「いいけど、芹のも後で頂戴ね?」
「いいよ」
芹沢がのカフェラテに何の躊躇もなく口を付ける。
一方のもそれを気にした様子はなく、笑顔で受け応えた。
「お前ら、ほんっと仲良しね」
呆れたようなからかうような色で亀山が笑う。
「そうですか?」
「右京さんだって、そう思うでしょ?」
「えぇ、そうですねぇ。傍目からすると非常に仲が良く見えますね」
「お前らが付き合ってるって庁内で噂が立ってるよ」
言われては少し驚く。芹沢はその噂を聞いた事があるようで思い出したような顔をしただけだった。
「それは知らなかったです。でも別に芹とは何にもありませんよ?」
「そうですよ、それに僕は彼女だって居ますし」
「それは知ってるけどよ」
が好意を抱いている相手が芹沢でないのは、亀山も杉下も知っていた。
芹沢への親しみは本当に友愛なのだ。
「まぁ、そんな噂が立って困るのは芹だけだからいいですけどね。私気にしませんし」
ケラケラと笑っては自分の飲み物に口を付ける。
やはり先ほど芹沢が飲んだ事もまったく気にしていない。
そんな様子のを見て、男三人は少し困ったように視線を交わした。
「お前、そういう噂が流れて困らないのか?」
亀山の問いにが不思議そうな顔をした。
「え? 別に気になりませんけど」
「その噂が伊丹刑事の耳に入ってもですか?」
「へ? でも伊丹さんも私達が付き合ってないって事くらい知ってますよ?」
どこまでも不思議そうな純粋な目に、亀山と芹沢は大きく嘆息した。
芹沢がやれやれと首を振ってサンドイッチを咥えた。
「いつもはに同情するけど、今回ばかりは伊丹先輩に同情するよ」
「え!? なんで?」
「あのなぁ、。いくら付き合ってないって知ってても、そんな噂が立てば気になるでしょ?」
恋愛ごとには疎い部類の亀山がの目を覗き込む。
周りの表情に戸惑いながらは首を傾げた。
「え……き、気になる……んですか?」
逆に聞き返され、亀山は眉を寄せ苦笑する。
「気になるでしょうよ。右京さんだって、たまきさんにそんな噂が立てば気になりますよね?」
「……さぁ、どうでしょうねぇ。亀山君だったらどうですか?」
「美和子に、ですか? そりゃ気になりますよ。本人が否定しても少しくらいは、ねぇ?」
「芹沢刑事は?」
「まぁ、気になりますよね確かに」
「だそうです」
三人の視線がに集まり、は居心地悪そうに眉を下げる。
「えっと…そう言われても…」
「では逆にお尋ねします。さんは伊丹刑事にそういう噂が立ったら、気になりませんか?」
「…………」
しばし、時間が止まったかのようには杉下を見つめた。
そして何かを言いかけて、口を閉じた。
次の瞬間、は唐突に食べかけのサンドイッチを袋に戻した。
「先、戻ってます!」
そう声を上げると勢いよく立ち上がり公園の出口へと走っていった。
突然の事に三人は唖然とその背中を見送り、の姿が公園から見えなくなったところでハッと我に返った。
「やれやれ、もどこか鈍いんだから」
「あはは、も亀山先輩に言われちゃおしまいですね」
爽やかに笑う芹沢の頭を亀山は無言で叩いた。


「やぁ、捜一の。小耳に挟んだんだがお前んとこの後輩、付き合ってるんだってな」
煙草を吸おうと喫煙室へ入ると、先客の二課の男がそう話し掛けてきた。
話し掛けられた三浦は、横の伊丹の雰囲気が硬くなったのを感じる。
「よぉ、相変わらず噂話が好きだな。だがその話はデマだよ」
何ともない振りをして軽く返しながら、やんわりと否定を入れる三浦。
相手は、そうなのかと大して気にした風でもなく笑いながら短くなった煙草を灰皿へ入れ出て行ってしまった。
バタン、とドアの閉まる音がして、喫煙室には二人しか居なくなる。
互いに無言で煙草を取り出し火を点ける。
傍にある自動販売機のヴーンという駆動音だけがやけに耳についた。
ふぅ、と煙を吐く。
「気にする事ねぇよ」
三浦は余計な節介だと知りつつ口を開いた。
「……何の話だ」
ジロリと睨まれるものの、その表情には動揺が浮かんでいる。
「芹沢との噂話。気にしてるんだろ?」
「……何で俺が気にしなきゃなんねぇのかこれっぽっちも分かんねぇなぁ」
「まったくお前は素直じゃないよ」
やれやれと苦笑すると、伊丹はそっぽを向いて煙を多く吐き出した。
「大体、アイツらが付き合ってないって事ぐらい知ってるっての」
「そうは言うけど、知ってる事と自分の気持ちってのは別モンだろうよ」
「……」
いくら真実を知っていようとも、思いを寄せる相手が男と仲良くしているのを見るのは良い気持ちではない。
どう見ても年の離れた自分よりお似合いのような気がしてしまうからだ。
単なる嫉妬でもあり、捻くれた自虐心でもある。
そんな事を思ってしまう自分に嫌気が刺すばかりだ。
「お前は本当に難儀な奴だな」
「……ほっとけ」
呟き、誤魔化すように煙草を吸う。
肺一杯に煙を吸い込んで、吐き出そうとした瞬間。

「伊丹さん!」
勢いよく開かれた喫煙室の扉とその声に、伊丹は驚き呼吸を乱した。
「ぐ、げっほ!」
「い、伊丹さん!?」
吐き出そうとした煙を逆に吸い込み変な所に入ってしまった。
むせる伊丹にが大慌てで近寄る。
突然の後輩の出現と、同僚の咳き込みに三浦はポカンとそれを見る。
「大丈夫ですか?」
「こほっ……大丈夫だよ。つかなんだよ大声出しやがって。事件か?」
収まった咳に呼吸を整えながらを睨む。
は一瞬キョトンとして、すぐさま自分の目的を思い出したように伊丹へと寄る。
「えっと! 私、芹とはなんもありませんから!」
「……あ?」
「付き合ってないですから!」
「オイ、ちょっと」
「全然、全くそんな事はこれっぽっちもありませんから!」
「だぁあ、落ち着け!」
掴めない話を捲くし立てるに、伊丹はその頭を叩く。
痛みでハッとしたのか、は恐縮したように静まる。
「す、すみません」
「なんなんだ、いきなり」
「え? えっと……私と芹が付き合ってるっていう噂が立ってるって聞いて」
「聞いて?」
「それで、そんな事は事実無根だと言っておこうと……」
「……あ? んなの知ってるっつの。芹沢には彼女居るんだしな」
「あ、あれ?」
「あん? なんだよ」
「いえ……、それだけです」
尻すぼみの言葉に、伊丹がもの凄く怪訝な顔をする。
「つかお前芹沢と飯食いに行ってたんじゃなかったのかよ」
「行ってましたよ、ほら…って、あぁ!」
「今度はなんだよッ」
「飲み物忘れてきましたっ、取りに行ってきます!」
公園でサンドイッチと一緒に持っていたはずのカップがない。
袋には食べかけのサンドイッチしか詰め込まれておらず、どうやらベンチに置き忘れたらしい。
「すみませんー、すぐ戻りますんで」
バタバタと慌しく、は喫煙室を出て行く。
その慌しさに伊丹は、眉を寄せて「ぶわぁーか」と小さく悪態を吐いた。
「ったく…なんだったんだ一体。わけわかんねぇ」
ブツブツと言いながら長くなった灰を灰皿へ落とす。
その横でクツクツと三浦が笑った。
「なんだよ」
「よかったじゃないか」
「なにが?」
素で聞き返され、三浦は眉を上げる。
「なんだ、気づいてないのか。が付き合ってないって否定しに来たじゃないか」
「あ? んなの知ってる事だろうが」
本当に気づいていないらしい同僚に三浦は呆れたように煙を吐いた。
「お前なぁ、知ってても不安だったんだろ?」
「……」
「それを、がお前だけには誤解されたくないってわざわざ言いに来てくれたんじゃないか」
「…………」
伊丹の表情が唖然としたものに変わる。
「あんだけ息切らして。芹沢なんかほっぽってよ」
「……」
「な、分かっただろ」
ニヤリ、と口角を上げる三浦に、伊丹は慌てて手で顔を覆い逸らした。
「何があったか知らねぇけど、わざわざ否定しに来てくれたんだ、喜べよ」
「……ッ」
極限に眉を寄せ顔を真っ赤にしている伊丹に、三浦はまたクツクツと笑った。
「ほんっと、お前は難儀な奴だよな」
「……ほっとけ」
呟いた伊丹の言葉は酷く弱々しかった。





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どっちも鈍いというお話。
書きたかったもの。右京さんの「さぁ、どうでしょうねぇ」。