テイクケア
「囮捜査?」
酷く怪訝な顔をした亀山が聞き返した。
一人で夜道を歩いている女性が襲われる事件が起こっていた。
殺人にはなっていないが、鉄パイプのようなもので殴りつけて去るという悪質な犯行。
当然のように一課が捜査を進め、これまた当然のように呼んでもいない特命係が顔と口を出していた。
犯人はバイクに乗り追い抜く際に殴ったり、待ち伏せして襲い掛かったり、と手口は統一されていない。
単独の犯行というのは証言で分かったが、被害者以外の目撃証言が少なく捜査は遅々としていた。
そうして、昨夜交番巡査達の巡回も虚しく、次の被害者が出てしまった。
その事態を重く見て、一課の方針が決まったのだ。
「囮捜査って…」
話を聞いた亀山が苦い表情を作る。
いつの間にか入ってきた特命係の姿を見て、ほとんどの人が嫌な顔をする。
特に伊丹は大きく溜息を吐き、入ってくる二人を睨み付けた。
「特命は入ってくんなよ、コラ」
「囮ってまさか…」
向かってくる伊丹を眼中にいれずに一課唯一の女刑事に心配の目をやる。
は気合の入った顔で頷く。
「ハイ、私が囮役を引き受けました」
「ちょっとちょっと、は刑事と言っても女だろ…いくらなんでも」
心配のあまりに詰め寄ろうとする亀山に伊丹が割って入る。
「特命が口を出すんじゃねぇよッ、馬鹿亀ッ」
「お前…お前はいいのかよ、下手したら怪我するかもしんねぇんだぞ!?」
声を張り上げる亀山の腕を上司の手が掴んだ。
いつもの上品な笑みを浮かべた杉下右京が諭すように口を開いた。
「亀山君。さんは警察官です。こういう事も勿論あるでしょう」
「でも右京さん…」
「えぇ…状況から見て確率的には囮捜査をする価値はあるでしょう。ですか何か他に手はないものでしょうか?」
「警部殿、一課の方針に口を出さないで下さいよ」
今まで傍観していた三浦が溜息混じりに杉下に制する。
杉下は悪びれる事なく僅かに頭を下げるが、それでも食い下がる。
「ですが犯人は凶器を所持しており、その犯行はいたって悪質です。怪我だけでは済まないかもしれません」
「そうだ、何もがそんな危険な目に…」
「杉下警部。亀山先輩」
心配の言葉を吐く二人を止めたのは当のだった。
「この状況での心配は嬉しくありません」
「んなこと言ったってよ」
は少し困ったように笑ったがキュッと口を引き締める。
「私は女であり警察官です。これ以上被害者を出す事はしたくありません」
「…」
「例えばサラリーマンが襲われる事件で囮捜査をする場合、杉下警部や三浦先輩が囮になるのは普通の事です」
いたって真面目な顔では続ける。
「なら、女性が襲われる事件で私が囮になるのも至極普通の事でしょう?」
「でも、右京さんが言ったみたいに、怪我じゃ済まないかもしれないんだぞ?」
「警察官になった時からそんな覚悟は出来ています」
どこまでも真っ直ぐ見つめられ、亀山は言葉を詰まらせる。
「フン、そういうわけだ。分かったら出てけ特亀」
伊丹が鼻で笑いシッシと手を振った。
亀山はその伊丹を見る。
「お前…本当に平気なのか?」
含みのある言い方に伊丹は眉間の皺を深くし、ジロリと相手を睨んだ。
「俺はお前と違ってを信頼してるからな」
「……」
「亀山君、行きましょう。これ以上は控えた方が良さそうです」
まだ心配が拭いきれない様子で亀山は上司の後に続いて去っていった。
それを見た後、一課は溜息を吐いてまた打ち合わせへと話を戻す。
その中、は密かに伊丹の言葉に感激していた。
そして一層この捜査を成功させようと心に誓ったのだった。
結果として囮捜査は成功を収めた。
被害のあった周辺を夜遅くにが歩いて、二日目の事。
角を曲がったに鉄パイプが振り下ろされ、それを冷静にが返り討ちにして逮捕になった。
襲い掛かってきた男は被害者の証言とも一致し、連続暴行事件の犯人として取調べが始まった。
がコーヒーを淹れ休憩をしていると、一課の入り口から見知った顔が入ってきた。
「おう、お疲れさん。平気だったか?」
「亀山先輩」
「こんばんは。お怪我の具合はどうですか?」
「杉下警部。怪我は大した事ありませんよ。軽い内出血だけです」
振り下ろされた鉄パイプを受けるのに腕を使ったせいだ。
なんともないと言うに伊丹達が診て貰えと煩いので医務室に行ってきたのだ。
「包帯巻かれましたけど、本当そんなに痛くないんですよ?」
腕をまくって見せると、杉下達は少し笑った。
そんな話をしていると伊丹がやってきて、特命の姿にまた眉を寄せる。
「なんでまた特命が居んだよッ」
「あぁ、これは失礼。ちょっと気になる事があるものですから」
笑みを浮かべたまま杉下が言って、思い出したように伊丹と入れ違いに取調室へと向かった。
「伊丹君は休憩? どうぞどうぞ休憩なさって」
おちゃらけた風に腰を低くして亀山がその後を付いていく。
咄嗟に掴んで止めようとしたが、その手は宙を切ってしまった。
「だ、この…ッ!」
大きく舌打ちをして伊丹はに目をやる。
「いつもいつも邪魔しやがって」
「まぁまぁ、コーヒー淹れましょうか?」
「いや、いい。すぐ戻る」
気を利かせて立ち上がろうとすると、伊丹は手でそれを制した。
「そうですか?」
「あぁ。それと、もうお前は上がっていいぞ」
「ハイ?」
「この二日間歩きっぱなしで疲れただろ。だから帰っていいって言ってんだよ」
分かりやすく労ってくれている事が嬉しかった。
「ありがとうございます。でもまだ取り調べも途中ですし…」
「あんなの少しシラ切ってるだけですぐ吐く。怪我人は大人しく帰って寝てろ」
「…そう、ですか?」
先輩よりも先に帰るのが気が引けるのか少し困った様子で伊丹を見上げる。
僅かに口角を上げて伊丹がの頭に手を伸ばす。
「お前はよくやったから、後は任せとけって」
髪をクシャとされ、思わず笑いが零れる。
「もーやめて下さいよー」
「じゃあ、帰れよ。お疲れ」
手を離すと、そのまま取調室へと戻っていく。
「あ、ありがとうございます、お疲れ様です!」
慌てて席を立ち、その背後に感謝を掛けた。
手をヒラヒラと振るだけで返ってきた反応に、はまた笑った。
コツコツと暗い道を歩いていると、帰宅をしているのになんだか捜査中のような気分になる。
深夜に歩き回ったおかげで体は疲労を訴えており、早く家に辿り着きたかった。
そんな時、携帯が震えた。
着信を見てみると、先ほど別れたばかりの先輩刑事。
「ハイ、です」
「俺だ、三番目の被害者の資料どこにあんだ?」
「あぁ、えっと私のデスクの青いファイルにあります」
「そうか」
「すみません、渡しておけばよかったですね」
「全くだ。あぁそれと…あ」
「ん? 伊丹さん?」
ふと途切れた声に訝りが問いかける。
瞬間、電灯の下だというのに視界に影が掛かった。
驚いて後ろへと飛びのく。
すんでのところを鉄パイプが通り過ぎた。
見上げれば、顔をサングラスとマフラーで隠した男が二撃目を繰り出さんと鉄パイプを振り上げていた。
その光景はつい数時間前に見たのと同じものだった。
慌てて鞄で防ごうとするが、バランスが保てず地べたへ転がってしまう。
もう一度振り上げられた凶器に血の気が引いた、そう感じた瞬間。
「!」
怒鳴り声が聞こえた。
目の前の男も驚いて攻撃を止める。
視界に割って入ったのは、今しがた携帯で繋がっていたはずの人物。
逃げようとする男を伊丹は追いかける。
すると何故かタイミング良く回り込んだ亀山が姿を現し、男の退路を断った。
「なんで…」
呆然としたままが立ち上がろうとする。
足に力を入れようとして、鋭い痛みが足首に走って顔をしかめた。
「大丈夫ですか?」
声がして顔を上げれば、杉下が手を伸ばしてくれていた。
「杉下警部…」
「足を捻りましたか?」
「…みたいです」
差し出した手がさらに伸びて、の腕を抱えるように担いで立たせた。
ついでに転がっていた携帯も拾って手渡してくれる。通話はまだ伊丹の携帯に繋がったままだ。
その男達の攻防はまだ続いているが、あと少しで取り押さえる事が出来そうだった。
「あの、警部達はなんで…」
「僕と亀山君は犯人がもう一人居ると気付いてここへやってきました」
「犯人がもう一人?」
「えぇ、単独犯で手口が同じだからと言って犯人が一人とは限らないという事です」
「どういう事です?」
「たまたま同じ手口の単独犯が二人、同じ時期に事件を起こしたのですよ」
言われて、唖然とする。
「犯行現場周辺をもう一度見回ろうとやって来たところでした」
「そうなんですか」
見ているとようやく犯人を取り押さえる事が出来たようで、どっちが手錠を掛けるかで揉めているようだった。
少し微笑みながら向かおうと杉下が足を進め、もそれに伴って右足を庇いながら歩いた。
ぽそりと内緒話をするかのような声で杉下が口を開いた。
「僕としては何故伊丹刑事がこの場に居るのか不思議ですよ」
「……そういえば…。あれ、警部が犯人はもう一人居る事を話したのでは?」
「いえ?」
可能性を聞いてみれば、あっさりと否定される。
「右京さん! 捕まえましたよ」
「オイ、亀どういう事だ、コイツは」
抵抗を見せる男を押さえ込んで二人がそれぞれの表情を見せる。
結局手錠は伊丹が掛けたらしい。
「伊丹さん、なんでここに居るんですか? まだ取調べ中じゃ…?」
声を掛けるとハッとした顔でを目をやり、すぐに立ち上がってスーツの汚れを叩きだした。
急に押さえる力が減って亀山は慌てて男を踏みつける。
妙な沈黙が落ちたと思ったら、柔らかい声がそれを遮った。
「亀山君、彼を連行しましょう」
「あ、ハイ。分かりました」
杉下の指示に素直に従い、亀山は腕を捻り上げたまま男を立たせる。
それを見とめてから、杉下はそっぽを向いている伊丹へと視線をやる。
「伊丹刑事」
「…なんですか?」
「さんは先ほどの転倒で捻挫をしてしまったようなのです」
腕を担ぎ支えたままの状況で説明をする。
伊丹は少し驚いて、すぐにその状況を理解したように頷いた。
「なので、彼女をお願いします。僕と亀山君でそちらの男を一課へ届けておきますので」
「な…、そんな世話結構ですよ警部。俺がソイツを連れて行きます」
「オイオイ、一人で連れて行けるわけねぇだろ、馬鹿。それにはどうするんだよ?」
「……」
呆れた風の亀山を鬱陶しそうに睨み、そして困った様子のを見た。
「僕がさんに付いて、お二人が一課へ戻る、という選択肢もなくはないのですが…」
提案する杉下に、伊丹と亀山の表情が嫌そうな顔になる。
「な、右京さん勘弁して下さいよ、コイツと一緒なんて」
「それはこっちの台詞だ」
互いにガンを飛ばしあって、伊丹は一つ溜息を吐く。
「ったく、分かりました。ソイツは特命に任せます。その代わりキチンと一課に届けて下さいよ?」
釘を刺すように杉下を見れば、杉下は優しい笑みを浮かべ了承した。
亀山君、と声を掛ける。
「ハイ。じゃあ車に戻ってますね。あ、俺から芹沢に連絡しておきます」
「お願いします」
「伊丹、お前もキチンとを届けるんだぞー」
去り際の余計な一言に、伊丹は盛大に顔をしかめ舌打ちをした。
杉下は何も聞かなかった振りをして、の腕を放す。
が立てるのを確認してから、
「では伊丹刑事、さんをお願いします」
そう言って一礼すると、亀山の後に付いていった。
「……」
「……」
「足…、大丈夫か?」
気を遣うように聞かれ、は慌てて手を振る。
「大丈夫ですよ、ちょっと捻っただけみたいですし」
「そーいうのは大丈夫って言わねぇんだよ」
拳でゴツンと頭を叩かれる。
「痛い…、これ以上怪我増やさないで下さいよ…」
「ったく……」
少し辺りを見渡した後、一つ嘆息して伊丹がしゃがみ込んだ。
が不思議に思っていると、伊丹はに背中を向ける。
「ほれ」
「え?」
「乗れっつってんだよ、早くしろ」
「えぇえ? そんな負ぶって貰うなんて申し訳ないですよ」
「いーから! 乗れって」
いらついたように促され、その怒気に気圧されたは恐る恐る手を伸ばす。
体重が掛かったのを確認して、伊丹は立ち上がる。
とんとん、とバランスを取ってから歩き出した。
「あの、本当、ごめんなさい」
「いーんだよ別に」
どうにも居た堪れず謝罪を口にしてみるが、適当に返事をする伊丹の表情は見えない。
申し訳なさはあるものの、それでもこの状況が嬉しくは首に回している腕に力を込めた。
「……」
「……」
大通りを外れた道は深夜のため人通りが全くない。
どこか遠くでバイクの音が聞こえる。
それと、少し荒い先輩刑事の息遣い。
その雰囲気に浸りながら、はふと思い出した。
「そういえば、伊丹さんはなんであそこに居たんですか?」
「あ?」
「取り調べ中だったんじゃないんですか?」
「…………」
まさか電話相手がすぐ傍に居るとも思わなかった。
の質問に、伊丹はしばらくして観念したように口を開く。
「三浦達に言われたんだよ、お前を送っていけって」
「そう、なんですか?」
「けど送っていくっつったって…どう声掛けりゃいいのか思いつかねぇっつーか…だから…」
酷く歯切れの悪い伊丹に、は驚いて少し顔を覗き込もうとする。
暗がりだったから確信はないが、その耳は赤く染まっているように見えた。
「歩きながら電話してりゃ暴漢が寄ってこねぇだろと思ったんだよ」
それは確かに普通の暴漢なら電話している相手を襲おうとは思わないだろう。
たまたま質の悪い暴漢に会ってしまった、そういう事だろう。
「…俺がキチンと声掛けてりゃ、捻挫なんざしなかったのにな……悪ぃ」
なるほど、と納得をしていたところに突然の謝罪。
思わず聞き返す。
「はい?」
「悪ぃ」
「伊丹さん…」
いつも妙なところで律儀で真面目な先輩刑事に、は困ったように微笑んだ。
「そんなの気にしないで下さいよ。捻挫したのは私が上手く受けきれなかったからなんですから」
「んな事言ってもよ」
「私の強さ、信頼してくれてるんでしょう?」
「……あぁ」
「でしたら、本当気にしないで下さい。なんだかんだで助けて貰ったんですから」
「……」
「ありがとうございます。伊丹さん」
お礼を言うと伊丹の頭が下げられ、少し足早になった。
走っているわけではないが明らかに乱暴な早歩き。
コンクリートでなければドスドスと聞こえてきそうな足運びだった。
「い、伊丹さん?」
「言っとくけどなッ」
弾む息に任せながら言葉が飛んでくる。
「信頼もしてるけどなぁ…ッ、心配だってしてんだよッ!」
「……」
言われた事に言葉を失っていると、段々疲れてきたのか肩で息をしながらそのスピードは緩んでいく。
周りの景色はすでによく見知ったもので、あと一つ曲がり角を曲がればのマンションだ。
ゼェゼェと荒い呼吸が聞こえる。
僅かに覗く耳が赤いのは運動のせいか、それとも。
角を曲がり、マンションの前までやってくる。
最低限の電灯だけついており、伊丹は慣れたように数段の段差を上った。
少し辺りを見回す様子を見せるが、それでも当たり前のように人の姿はない。
エレベーターホールでボタンを押して、待つ。
普段なら気付かないようなエレベーターの動く音さえホールに響いた。
「オイ」
沈黙に耐え切れなかったのか、伊丹がそれを破った。
「ハイ?」
「何か言えよ」
「……え?」
意味が汲み取れず、疑問符を投げ返す。
の反応に伊丹は歯痒そうに少し呻いてから何かを喋ろうとして、チンというエレベーターの音に阻まれる。
舌打ちをしながら開いた扉を潜り、4階のボタンを押した。
ヴン、と鈍い機械音と共に景色が下がっていく。
「俺が言った事に、何かねぇのかよって言ってんだよ」
中断されていた話の続きをされ、はようやく先ほどの質問を理解する。
「心配したって奴ですか?」
「あぁ」
伊丹が肯定したのと同時にチン、と音がして静かに扉が開いた。
迷いのない足取りで伊丹が通路を歩いていく。
、と表札の出ている部屋の前で足を止めた。
「オラ、鍵」
「あ、ハイ。すみません」
自分の鞄から家の鍵を取り出す。
「もう下ろして貰っていいですよ?」
「あぁ」
下ろすのを思い出したような声を出して、伊丹はゆっくりとを下ろした。
捻っていない方で立って、そのままドアを開ける。伊丹が支えるように誘導してくれた。
玄関まで入り、互いに大きく息を吐いた。
特に伊丹は成人女性を負ぶってきたのだ、ドカリとその場にしゃがみ込んでしまった。
靴を脱ぎながらその様子には微笑む。
「伊丹さん」
「あ?」
「わざわざ送ってくれてありがとうございます」
チラリとの方を見て、すぐに眉間に皺を寄せた顔でそっぽを向いた。
「伊丹さん」
「なんだよ…」
「コレ」
だからなんだよ、と伊丹が顔を上げる。
「さっきの話の答え…って言うのはどうでしょう」
「…………」
伊丹の目の前に差し出されたのは、芹沢に貰ったのだと言っていたキーホルダー。
が付いている鍵だった。
「どうでしょうって…」
「ちゃんと合鍵あるんで大丈夫ですよ? キーホルダーは上げられませんけど」
どこか的外れに感じる回答に伊丹は内心動揺しながらも頭を抱えて息を吐いた。
よっ、と立ち上がって目の前の頭をゴツンと殴る。
「痛い…。え、なんで殴られたんですか私」
「お前なぁ、そーいう事を軽々しくすんじゃねぇ!」
良かれと思った事に殴られ怒られたが不満そうに眉を寄せる。
「な、何がですか…っていうか大声出さないで下さいよ」
「つか、答えが鍵って意味分かんねぇだろうが」
「え、分からないですか?」
「あぁ?」
「心配されて、嬉しいと思ったからです」
煩わしそうに細められていた目が少し見開く。
「……」
「鍵くらい受け取って下さいよ。私だって伊丹さん家の鍵持ってるんですし」
「そう…だけどなぁ、それとこれとは意味が違う」
どこまでいっても妙に真面目で律儀な先輩だとは眉を下げる。
確かにが鍵を貰った経緯は必要に迫られて渡され、そのまま返さなくていいと言われたものだった。
こうしてストレートに渡すという事とは少々意味合いが異なるのかもしれないが。
「大して違わないと思うんですけど…」
「……お前、本気で言ってんのか?」
訝るというよりは探るように、威嚇するというよりはどこか恐る恐るといった雰囲気で伊丹が睨む。
慣れてるとは言えその鋭い視線には居心地悪そうにする。
は困ったように一つ息と吐いた。
「伊丹さん…、私だってこういうのそんなに得意じゃないんですから…」
「あ?」
どちらかと言えば愛の言葉を告げるのには抵抗がある、伊丹側だとは自覚している。
根がストレートな亀山や、言葉を惜しまない芹沢のようにはいかない。
杉下のように何か綺麗な叙事詩でも引っ張り出せればまた話は変わってくるだろうがそんな引き出しはない。
意を決しては顔を上げ、怪訝な顔の伊丹を見た。
「本気です」
言ってもう一度鍵を伊丹へと差し出す。
「女の子にこういう確認しないでくれますか?」
苦笑すると、伊丹はその鍵とを交互に見た後、居心地悪げに顔を赤らめ手を出した。
「お前は馬鹿か…」
悪態を吐きながらようやく鍵を手に取る。
そうしてそっぽを向いたまま、眉間に思い切り皺を寄せたまま。
「女だと思ってるからだろうが」
「……」
伊丹の言葉は、どんなストレートな告白よりも沢山の言葉よりも、綺麗な叙事詩よりも。
「何笑ってんだよ」
苦々しげに伊丹が聞く。
すっかり頬の緩んでいるが答える。
「嬉しいからですよ」
「……」
「伊丹さん、すぐ戻っちゃいます?」
「あ?」
「一服、していって下さいよ。コーヒー淹れますから」
がリビングを指差した。
「……ったく、わーったよ、一杯だけな」
やれやれと苦笑して、伊丹が靴を脱ぎに手を貸す。
狭い廊下を支えながらリビングへと向かった。
一課に戻った伊丹に、三浦と芹沢のからかいの言葉が飛んだのはお約束。
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テイクケア=心を配る
大事な恋人だからこそお堅い伊丹さん。