悲しみが溢れて涙になるのだとしたら
愛しさが溢れたら何になるのだろうか。
overflow
−YASUver.−
悲しみが溢れて涙になるのだとしたら
愛しさが溢れたら何になるのだろうか。
俺は言葉だと思う。
「ねぇ、愛してるよ」
台所でコーヒーを淹れる君に投げかければ、君は照れたような困ったような顔。
一瞬止まった手をまた動かして、軽く溜息を吐いた。
「溜息吐いたら、一つ幸せが逃げるんだよ?」
「知ってる。でも優、知ってる? 数が多ければ多いほど一つの重さが分散されるんだよ」
コーヒーのカップを俺に差し出しながら言う。
「…それって、俺が愛してるって言い過ぎて軽く聞こえるってこと?」
「……別にいいんだけど。でも、それだけ言われるとやっぱり軽く聞こえちゃうよ」
そうかなぁ、と俺は手にしていた煙草を灰皿に押し付けた。
「優の表現がストレートなのは知ってるけど」
「んー…、でも今更雄二さんみたいに出し惜しめないよ。だって愛してるんだもん」
「また…」
呆れた風にカップに口付ける君、それでもやっぱり照れた様子は隠せない。
そういうところが愛しいんだって、何で気づかないかな。
まぁ、本当に愛し始めたから愛してるって言わなくなるっていうのも分かるんだけどねぇ。
「それに、声を出し続ければ枯れちゃうみたいに、愛してるって言い続けたらいつか枯れちゃうんじゃないかなって」
否定しようとして、不覚にも彼女の言葉の羅列にうっとりとしてしまった。
歌詩になりそうなロマンチックでセンチメンタルな言葉。
でも枯れるなんて思わない。枯れるなんて想像できない。
どうせ歌うならいつか枯れてしまう切ない歌じゃなく、いつまでも枯れない熱い歌がいい。
「枯れないよ」
静かに口にすると、彼女は信用してなさそうな笑み。
その瞳を射抜くように真っ直ぐ見つめる。
「俺は『愛してる』って気持ちを心に貯めててね」
自分の心臓を指差す。
「そこから溢れる分しか言葉に出来ない仕組みになってるんだ」
「……」
「溢れるものを止める事は出来ません」
どうしても愛しさは募っていくから、溢れる分を言葉にして君に伝えているだけなんだ。
「貯めてる分まで言葉にしたら、俺仕事出来なくなっちゃうよ」
言葉を歌に変えても足りないくらい、四六時中君に囁いても足りないくらい。
にっこりと微笑むと、彼女は絶句の表情。
そしてすぐさま照れたような困ったような顔をするので、俺はまた溢れた愛しさを言葉にしてしまうのだ。
「ねぇ、やっぱ愛してるよ」
−MURAver.−
悲しみが溢れて涙になるのだとしたら
愛しさが溢れたら何になるのだろうか。
俺は衝動だと思う。
「うぎゃっ」
可愛らしさの欠片もない声に俺は眉を潜めた。
「かっわいくねー。もっかいやり直し」
「やり直…さない! アホ!」
腕の中にいた温もりが剥がされる。
つまらない、と口を尖らすと鬱陶しそうに睨まれた。
「可愛くないよ」
「俺の純真無垢な瞳にやられておけよそこは」
「どこが純真で無垢なんですかぁ?」
慣れたやり取り。
なんでコイツはもうちょっと可愛げのある事が言えないのだろうか。
それでもこうして付き合えているのだから相性はいいらしい。
俺がお人よしなのか…なんてそんな事はなくて。
「いつもいつも…どうしたの?」
慣れたやり取りに新しい展開。
どうしたのってそりゃ。
また睨まれると思いながらも手を伸ばした。
少し抵抗する肩を抱き寄せる。
「うん、どうかしたの」
「は…?」
頬と頬をくっ付けて、横目で怪訝に窺う相手に笑う。
「お前に出逢ってどうかしちゃったのよ」
「……」
本当に自分自身でも困っている。
こんな思いは今までもあったけれどこれほどに強くなかった。
独占欲や性欲とも違う、単純なもの。
「ずっとお前に触れていたいって思っちゃうの」
衝動。
好きだと思えば思うほど、触りたいという衝動が強くなる。
「……そう」
抵抗がなくなり大人しくなった彼女の頭を軽くくしゃりとする。
非難の声もなく、ねめつける視線もない。
普段は気が強いくせに、こっちが本心を晒せば悟ったように受け入れる。
やっぱり俺がお人よしなのではなくて、コイツがお人よしなのかもしれない。
可愛げのある態度ではないけど、それでも否定しない恋人。
だからずっと一緒にいたくて。
だからいつでも触れたいと思う。
触れる事で愛している量が伝わればいいのに。口に出さず、そう、思った。
−SAKAver.−
悲しみが溢れて涙になるのだとしたら
愛しさが溢れたら何になるのだろうか。
俺は溜息だと思う。
「雄二さん、どうかしたんですか?」
唐突に声がして、我に返る。
つい今の今まで軽く談笑していたはずなのに。
ふとした瞬間俺は何も出来なくなる。
それはまるで病気のようだと思った。
「ん? 何が?」
「今、溜息吐いてましたよ。お疲れですか?」
言われてようやく気付く。無意識のうちに重い息を吐いていたらしい。
「いや…すまん大丈夫だよ」
気遣いが嬉しくもあり申し訳なくもあり、変な笑みで手を振った。
その動作が悪かったのか、彼女は心配そうな顔をする。
「お疲れでしたら、私はそろそろ帰りますけど…?」
言われた途端、息が詰まる。
帰らないで欲しい。
居なくなられると、俺は。
「全然疲れてないって」
気の利いた言葉も出てこず、そんな何ともない振りしか出来ない。
戸惑いを見せる君に俺も釣られて戸惑う。
「……」
「……」
彼女に居なくなられると、途端に何も出来なくなってしまう。
その癖、彼女が目の前にいると、それ以上に何も出来なくなってしまうのだ。
告白してOKを貰って。
一番楽しい時期のはずなのに、一番幸せな時のはずなのに。
実際とても楽しく毎日がワクワクする。
それなのにか。それだからか。
彼女と居る幸福感に思わず溜息を吐いてしまう。
腹一杯に食事をした後の息のように。
幸せの溜息。
他の事がすべてどうでもいいと思えてしまう幸福感。
それと反比例して、彼女が居ない時の憂鬱。
仕事に支障が出さないようにしているが、それにしても気分が重い。
疲れではない溜息が漏れる。
これも今日メンバーに指摘されて気付いたのだが。
溜息を吐いて幸せが逃げるなら、俺は相当の幸せを手放している事になる。
そのはずなのに、不思議とそんな気はしない。
幸せ過ぎる事にかえって戸惑っている。
彼女さえ居てくれれば、それで良いと。
「雄二さん、本当に大丈夫ですか?」
「……あぁ」
それでも彼女が大切だから、傷つけたくないから。
愛しさを理由にして、彼女を困らせるような事は決して。
俯いていると、不意にふわりと香りがする。彼女のシャンプーの匂い。
「……な、なん」
後ろから抱き締められてるのだと気付いて、心臓が跳ね上がる。
この香りも、温もりも、感触も、すべて―――愛しいから。
「どしたの…急に」
心臓だけではなく全身が脈打っているような気分を抑えながら聞く。
髪に遮られた向こう、俺の耳元で少し微笑んだ気配。
「幸せだなって思って」
「……」
「なので、こうやったら幸せをおすそ分け出来ないかなって」
穏やかな君の声。
その声が俺を惑わせ悩ませ幸せにしてくれる。
溜息を吐いても吐いてもなくならない幸せ。
君が与えてくれるから、俺は安心して溜息が吐ける。
では俺の吐いた幸せはどこへ行くのだろう。
「でも私が幸せなのは、雄二さんが居るからなんですけどね」
彼女の声が耳朶を震わせる。
あぁ、もう。
恥ずかしさと嬉しさとで、また大きく溜息を吐いた。
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しつこいくらいが安岡さん。
8割冗談たまに本音が村上さん。
幸せに戸惑う可哀想な酒井さん。