絡み酒


「あれ、全然飲んでないじゃない」
上機嫌だった相手が、ほんのり赤らめた顔を不満そうに歪めそう言った。
グラスを傾けながら、口を尖らしてみせる。
「飲んでますよ。酒井さんのペースが早いんです」
「そう?」
「そーです。なんかあったんですか?」
こんな無茶な飲み方をする時は決まって落ち込んでいる時だと、長い付き合いで学んでいた。
大学のサークルで先輩後輩として出会い十年以上になる。
今でもたまにこうして飲みや打ち上げ、ライブに誘ってもらっているのだが。
それにしても今日は唐突に呼び出された。
仕事を終え、やってきて見れば呼び出した本人はいつも以上に妙にテンションが高い。
そのままのペースでお酒を飲んで、すでにほろ酔いを経過している。
どこかうつろな瞳がこちらを向いた。
「……なんで?」
「一年前と飲み方が一緒ですよ」
言うとピクリと酒井さんの眉が動く。
一年前、酒井さんが当時の彼女さんと別れた時だ。
何か思い出すように視線を伏せ、酒井さんは黙ってしまった。
「……」
「……」
さぁ」
「はい」
「とりあえず飲め! 話はそれからなわけですよ。奢るし、ね」
「どーも」
話の糸口を見つけられないのか歯切れ悪げに酒を勧められる。
無理に酒を注いだりする人ではないのだが、どうやら互いに酔っ払いでないと話にくいらしい。
いつもの事ながら微笑ましく思い酒井さんが話したくなるまで待つ。

内容は想像がついた。
きっと、恋愛の相談だ。
新しい好きな人が出来たんだろう。
私はそれを聞く役割なのだ。大学の時からずっと。

近状やらテレビやらの他愛のない話をしながらグラスを傾け、一時間くらいが経った。
酒井さんは完全に出来上がっている。
ー、俺はね思うわけよー」
「はいはい、なんですか」
「もっとこー器用にいけないもんかねぇって」
「はぁ」
「俺って馬鹿だよなー」
「……はぁ」
会話なのか独白なのか分からない、脈絡すらない酒井さんの言葉に耳を傾ける。
自嘲するような笑み、とろんとした瞳、掠れ気味の声。
それを眺めながめながら相槌を打つ事には慣れている。
その表情が自分だけの特権だと思えば苦い思いは飲み込めた。
「なにが馬鹿なんですか?」
聞けば、うー、と唸り眉間に皺を寄せる。
「……好きだって気づいた途端失恋した」
「……それは、馬鹿なんですか?」
「馬鹿だよ」
「告白したんですか?」
「……出来るわけないでしょーがよ」
「相手に恋人が居たんですか?」
「分からない」
「酒井さん…」
酒井さんの奥手は誰もが知るところで。
好意を持った相手に恋人がいれば身を引くし、想いを告げる事もしない。
メンバーではからかわれて相談にならんから、と何故か私のところへそういった話が持ち込まれる。
人の気も知らないで、と思った事もあったが自業自得だと自嘲して済ませた。
「なんで恋人がいるかも分からないのに、失恋したって分かるんですか」
「…………好きな人がいるらしい」
「誰に聞いたんですか」
「安岡」
「ヤス君?」
予想外に身近な名前が出てきて少し驚く。
その女の人はスタッフなのだろうか。もしくはヤス君の知り合いなのか。
後でヤス君に詳細を聞いてみようかとも思ったが、彼とホクさんには私の気持ちが知られているのでどうにも聞きにくい。
「でも本人に聞いたわけじゃないんですよね?」
「聞けるわけないでしょうが」
「酒井さんの悪いところは本人にちゃんと確認しないところですよ」
「……でも安岡がそう言ってた」
「ヤス君が言ってたってだけで失恋って決めるんですか?」
「……」
憮然とした面持ちでグラスを傾ける酒井さんに、私は溜息を吐いた。
「もしその人が好きな人居たとして、それで告白を諦めるんですか?」
「そら…相手が困るだけだろうし……」
「諦められるんですか」
言いながら心の中で自分に辟易する。
私が言えた立場じゃないし、酒井さんの言っている事も凄くよく分かるのに。
それでも呆れた振りをしながら背中を押している。
毎回そうなのだから、酒井さんがそれを望んでいるんだろうと勝手に解釈していた。
だから今回も無責任なハッパをかける。
成功したら嬉しそうに報告を受けるし、失敗したら慰めるために酒に付き合う。
そうやって、私はこの距離を捨てられないでいた。
「酒井さん。“獲りたい女(ヤツ)も獲る”ですよ」
「……あーいてーく」
「宝くじだって買わないと当たらないでしょう」
告白をするように言葉を並べる私を見て、困った風に酒井さんは笑った。
はいつもそーやって俺を励ましてくれるよなぁ」
「…そりゃ生粋のサカイストですからね」
大学の頃から酒井さんに懐いている、という立場にいるのだ。
なんとか微笑んで返せば、酒井さんは一層苦笑を濃くした。
「とにかく告白した方が絶対いいですよ。きっと後悔しますよ?」
「すでに後悔してる節があるんだが……」
「告白する前から後悔してるなら、告白しなかったらもっと後悔しそうですね」
「……」
私の言い様に酒井さんは口を閉ざして眉間に皺を寄せる。
それを横目で見ながら待っていると、しばらくしてポツリと口を開いた。
は」
「はい」
「好きな人とか恋人居るの?」
唐突に話が飛んだ。
伏せがちのうつろな瞳が向けられドキリとする。
「え、なんですかいきなり」
「……からそーいう話を聞いた事がないなって」
「別に私の事はどうでもいいんですよ。酒井さんの話でしょう」
「いーじゃない、教えてくれても」
ずいと顔を近づけられて、完全に酔っ払いなのだと理解した。
一瞬の真面目な顔に動揺した自分が馬鹿みたいだ。
「俺には教えられないの?」
「そうじゃなくて……」
絡んでくる酔っ払いに軽い苛立ちを覚える。
貴方が好きですけど、なんて言ったらどんな顔をするのだろうか。
誤魔化すように酒を傾けながら言葉を続ける。
「そういうのは私じゃなくて好きな相手に聞いてくださいよ」
「……」
言うと僅かに憮然とした顔になる酒井さん。
それからグイとグラスを煽ったと思うと溜息をついて見せた。
「だから聞いてるんだっての」
ボソリと呟いた言葉に耳を疑う。
「はい?」
はずっと俺の相談乗ってくれたもんなぁ」
「え、は?」
「脈あったらそんな事するわけねーよなぁ」
話が見えない。何かがすれ違ってる。
「酒井さん?」
困惑を込めて名前を呼ぶとピクリと反応して、苦笑を浮かべた。
「ごめんな。困るって分かってるのにな」
「あの…」
「あ」
「え?」
「もうこんな時間か」
わざとらしく私の言葉を遮ると店内の掛け時計を示してみせる。
すでに終電を逃してしまっている時間。
どうせタクシーで帰る予定だったので時計は見ていても時間はそこまで気にしていなかった。
明日も仕事だろ?」
「酒井さん」
「付き合わせてごめん。払ってくる」
グラスに残っていた酒を流し込むと、酒井さんはすぐに立ち上がってしまう。
咄嗟に止めようとするも、手が宙を掻いた。
慌てて自分のバッグを持ちその背中を追う。
それでも自分が何を言おうとしているのか自分でも分からなかった。
酒井さんの言葉の意味が分からない。
分かるけれどありえないと否定する気持ちが強くてただ焦る気持ちだけが募る。

「とにかく告白した方が絶対いいですよ。きっと後悔しますよ?」

自分の言葉が耳に痛い。
後悔はずっとしてきた。
酒井さんには同じ後悔をさせるわけにはいかない。

「酒井さんっ」
会計を済ませ店を出ると、酒井さんは気まずそうに大通りの方へと歩き出した。
その背中に声を掛ける。
ほのかに紅い顔が目を泳がせながら振り向いた。
「酒井さんの悪いところは本人にちゃんと確認しないところですよ」
「……」
「私の悪いところはずっと後悔してるのに告白できないところです」
「え?」
意表を突かれたのかポカンと口を開ける酒井さん。
さっきの私と同じ顔をしていて少し笑えた。
「私に好きな人居るかって聞きましたよね?」
「あ、うん…」
「居ます。酒井さんが好きです」
「は……えぇ?」
口をパクパクさせて何かを言おうとする酒井さんに困惑する。
「えぇって…酒井さんが聞いたでしょう?」
「いや、だって、お前………」
「はい」
「……いつから?」
「…………初めて公園で飲んだ時には好きでしたよ」
一瞬眉を潜めて、その思い出に至ったのかすぐさま絶句した。
「えぇえ? だってあの時って…」
「酒井さんがその時の彼女に振られた時ですね」
あれは本当に偶然だった。
偶々大学の一角で酒井さんが当時の彼女さんに振られているところに通りかかってしまったのだ。
それに気づかれその後拉致されるようにして自棄酒に付き合わされた。
お金がないからとコンビニで缶のお酒を買い込み何故か公園で飲まされたのを覚えている。
その時から私は酒井さんの相談相手の位置に座り込んだ。
「お前…」
「ね、私の方が馬鹿でしょう?」
「いや……え、本当に? だって十年くらい経ってるよな」
「経ってますね」
「俺ずっとに…」
「はい」
段々申し訳なさそうに顔を歪める酒井さん。
苦笑する私の表情に確信を得たようでさらに苦い顔をして手で覆った。
「俺、最低だ……」
「私が馬鹿なだけですよ」
「いやこれは俺が最低でしょ……ごめん」
「酒井さん」
「でもなんだ、その……」
言いづらそうにチラリと私と見て、照れたようにクシャリと笑顔を浮かべた。
「凄い嬉しい」
「……」
その笑顔が、まさか自分に向けられる事があるとは思わなかった。
瞬間に顔が熱くなるのを感じて僅かに俯いてしまう。

「は、はい」
「ありがとうな」
「……いえ」
目を細めて言われたお礼に頭を振る。
スッと手を差し出され、何かと窺えばどうやら手を繋ごうという事らしい。
見た事もない積極さにこっちがドギマギしてしまう。
手を重ねるとギュッと軽く力が入るのが、酷くむず痒くなんだか恥ずかしい。
大通りが見えた頃、酒井さんが思い出したように私の方へ向いた。
「言ってなかったから改めて言わせて」
「何をですか?」
の事が好きだ」
「……」
柔らかい瞳が自分を縫いとめる。
そこでようやく気づいた。
いくらなんでも積極的過ぎる。
「酒井さん、酔っ払ってますね」
恋愛の相談を後輩にするのだってお酒の力が要る人の癖に。
言えば大げさにブンブンと繋いでいる手を振った。
恋人と並んで歩くというより、酔っ払いの介護をしている気分になってくる。
「そりゃーお前、酔ってますよ。お酒飲んだんだもの」
「……今日の事覚えてなかったら本気で殴りますからね?」
「殴るってお前…」
泥酔した挙句に家まで送らされて、それを全く覚えていないなんて事は一回や二回ではない。
今日も量だけで言うなら相当の量だった。
「夢だったなんて思われたら私泣きますよ」
「泣くのか……それは困る」
「覚えていて下さいね?」
「……うーん、でも自信ないな」
大通りに着くと、テールランプが激しく行きかっている。
空車のタクシーを探しながら駅の方へと歩く。
少し唸る酒井さんに口を尖らせて下から睨むと、酒井さんは繋いでいる手を強く握った。
「俺が朝起きて夢だと思わないようにすればいいんでない?」
「どうやってですか?」
聞けば、ニィと口角を上げる。
その笑みの意味に思い至り、顔を赤らめると酒井さんの笑みが深くなる。
「酔っ払い……」
そうねめつけるも酔っ払いは笑ってばかりで効果は望めなさそうだった。



翌日、隣りで寝ている私に驚いた挙句、記憶が曖昧な酒井さんにもう一度告白するはめになった。
その際に二日酔いだと嘆く酒井さんの頭を遠慮なく叩かせてもらったのは約束通りだ。
それでももう一度お礼とあの笑顔をくれただけで、許してしまう自分に「惚れた弱み」という言葉が身に染みた。
ただ、そのまま許してしまうのは悔しかったので、ヤス君とホクさんに話しておいた。
酒井さんがしばらくからかわれる事になると思うけれど、我慢して貰おう。





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絡む酒井さん。