星屑


まだ蒸し暑さの残る昼間と、秋らしい虫の声が漂う深夜。
熱帯夜が続いていたが、今吹いた風は涼しげでどこか乾いた秋風を含んでいるように思えた。
「はぁ・・・あーぁ」
無意識のうちに疲れがため息になって漏れる。
今日のステージの出来は芳しくなく、それはここ最近ずっと続いていて、誰の目にも俺が不調なのは見て取れた。
八月にリリースした『永遠に』を持って、地道に宣伝活動を繰り返していた。
歌を歌っていれば楽しいし、メンバーと馬鹿やるのも愉快なのだけど。
「・・・売れてぇよなぁ・・・・・・」
職業として歌手を選んだからには、楽しいや愉快だけでは当然やっていけない。
何度吐いたか分からない呟きに、またじわりと焦りと苛つきが染み出してグシャグシャと頭を掻いた。
頭を冷やすためにと帰りの車を家と離れたところで降りて、渋い顔をしながら散歩コースにしている公園を歩いている。
黒沢にはあまり背負い込むなと言われたけれど、そうもいかないんだ。
俺が誘ったから、奴らは俺と一緒に歌をやっているわけで。
奴らの人生を全て背負い込むつもりはないけれど、このまま売れないとしたら責任を感じずにはいられない。
歌手の道に引きずり込んだのは俺で、それで駄目でしたなんて、そんなのは。
いつか売れると信じてはいるけど、もうすでに六年近い。
そろそろヒットをかまさないと、正直言ってきつい。申し訳ない思いで一杯になってしまう。
「・・・・・・」
不調の元が分かっているだけにどうにもならない。
一生懸命に歌えば、宣伝すれば、売れるのかと言えばそうじゃないから。

これらの思いを全て、今吹いた秋風のせいにしてしまいたい。
秋は燃え上がる夏が終わる、寂しい季節だから。センチメンタルな季節だから。
見上げれば満月なのか、眩しい程に明るい丸い月が煌々と光を放ち、俺を突き刺していた。
それは俺を晒すように照らして、少し笑っているような。
月か星の歌でも歌おうか。
何を歌えば売れるのだろうか。このままでいいのだろうか。

やるせない思いはループして、夜の散歩は失敗したと思った。
さっさと帰ろう、帰って寝よう。明日も仕事なんだから。
決めると、だるい足を動かして公園の反対側の出口へと向かう。
夜の公園なんてロマンチックとはほど遠く、暗くて静かで誰も居なくて。

カンッ、コンカラカララララ。

・・・・・・居なくて?
突然視界を横切った小さな物体に、眉を潜める。
目で追えば、それは炭酸ジュースの空き缶で。
それがゴミ箱の淵に当たって弾かれ、俺の数歩先へと転がってきた。
飛んできたのはツツジで賑わう花壇の向こう側で、投げた奴は確認できない。
誰か居るのか、とゴミ箱の隣に立つ時計台を見上げれば深夜一時を過ぎている。
なんとなしに缶を拾い上げ、花壇を大きく回ってみた。
こんな真夜中にこんな公園で炭酸ジュースをゴミ箱に入れ損なった奴の顔を見たかったから。
花壇の反対側はレンガ風のタイルの地面に気持ちばかりのベンチが数個間隔を空けて並列している。
そのベンチの一つに人影があった。
「あ・・・」
そいつは俺の出現にいささか驚いたようで、意外そうに顔を上げた。
女、と言うにはまだ少し幼さの残る女の子だった。
「・・・・・・これ、アンタ?」
静かに言いながら缶を見せると、そいつはあからさまにバツの悪い顔をする。
「そう、です。・・・・・・すみません」
「入ってなかったよ」
「・・・やっぱり」
目に見えてがっかりしたように肩を落とすので、単に投げ捨てたわけじゃないようで。
数歩近づきながら、ゴミ箱を見てみるがやっぱりここからじゃツツジに隠れてよく見えない。
「入れば・・・なんか良い事起きるかなと思ったんですけど」
「・・・・・・運試しにしちゃ難易度たけぇな、オイ」
見知らぬはずの俺が近寄っているのにも関わらず、女はベンチを動こうとも警戒しようともしない。
変質者に襲われても知らないわよ、お嬢ちゃん。
苦笑して見下ろすと、ゴミ箱の方を見据えながらお嬢ちゃんはポツリと言葉を漏らす。
「入ったら・・・・・・まだ諦めなくて済むかなって」
「・・・・・・」
ドキッとした。
胸の高鳴りとは違う、思っていた事を言い当てられたような身体が一瞬凍る感覚。
でも、と女は笑った。
「やっぱ駄目なのかな・・・」
「・・・・・・」
薄く苦い笑みはまるで自分のもので。
そんな彼女に掛ける言葉なんて俺にあるわけなく。
「・・・・・・」
手にしていた空き缶をツツジの向こうあるはずのゴミ箱に向かって思いっきり投げた。
女は少し驚いた顔をして、俺を見上げてくる。
ツツジの向こうに消えた空き缶。

カーン、カララララララ・・・。

返ってきた音は明らかに金属のゴミ箱にすら掠らずに、地面に当たって空しく転がる音だった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
残った余韻が消えていくのを聴きながら、背伸びして確認する素振りをしてみるが当然分からない。
「・・・ま、俺サッカー部だったから」
「え」
意図の掴めないらしい声に、笑う。
多分先ほど彼女がしていたような笑みなのだろうと、鏡を見ずとも想像が出来た。
「・・・・・・俺の方も駄目なのかねぇ」
「・・・・・・」
意外そうに眉を上げる女の顔を見ていると、少し気まずそうに目を逸らされた。
彼女も当然俺を励ますような言葉は持ってないはずだ。
「アンタ、学生?」
「・・・ハイ」
ずっと威圧的に見下ろしているのもなんなので、空いていた彼女の隣りに断りもなしに腰を下ろした。
チラリとこちらを見るが、嫌がる素振りも見せずにまた俯いた。
学生、ね。懐かしいと言うにはついこないだ卒業したばかりな気がするけど。
木材で造られた硬い背もたれに寄りかかる。
意味もなくため息が口をついた。
「あのー」
学生時代良かったな、なんて年寄り臭い事を考えていたら、横から彼女の声。
なに、と視線をやれば。
「お兄さん成人してますよね」
「・・・してっけど、なによ」
「コレあげます」
言っておもむろにベンチの反対側から取り出して見せた缶。
「は・・・酒?」
差し出されたそれを月の明かりで読んでみれば、缶チューハイだった。アルコール5%くらいしかないやつ。
とりあえず受け取ると、彼女はよかった、と少し微笑んだ。
缶と彼女を見比べながら、意地悪く笑ってみる。
「未成年じゃねぇの?」
「そうですよ、それ、自棄酒のつもりで買ったんですけど、やっぱり飲む気しなくて」
「自棄酒ねぇ・・・、俺がアンタくらいの時普通に飲んでたけどな」
今時高校生とか普通に飲んでるだろうに。
そう思いながら折角貰った缶チューハイのプルトップを押し開けた。
「不良だったんですか」
カシュッと小気味の良い音と一緒に、彼女の声。
「阿呆、不良じゃねぇよ、むしろ優等生だったのよこれでも」
「・・・」
「あ、信じてねぇな。俺、一応早稲田出よ?」
言えば、驚いたような瞳が信じられないとばかりに俺に向く。
「・・・凄いですね」
「勉強さえしてりゃ入れる」
よく言われる感嘆に、缶に口をつけながら応えた。
その言い様が悪かったのか、彼女はまたバツが悪そうに俯いてしまった。
大学名だけで擦り寄ってくる奴がたまにいるので、つい冷たくなってしまったのかと反省。
「・・・別に大学どこ出ていようが関係ないよ。・・・・・・それこそ缶が入らなきゃ意味がない」
一瞬不可解な顔をした彼女だったが、少し間を置いて理解したようで、あぁ、と苦笑した。
「俺よりも、アンタはどうなの。深夜にこんなところに居る方が不良でしょうよ」
「あー・・・」
妙な空気が流れる前に切り替えすとさらに苦く笑って、確かに、と呟いた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
無理に聞くでもなく、また缶を傾けて答えを待つ。
たっぷりと間を空けた後に、彼女がポツリと喋り始めた。
「うちは・・・、結構裕福なんですよ」
「あ?」
「いや、自慢とかじゃなくて・・・・・・。親が厳しいんです、よくあるような頭固いタイプで」
あぁ、なるほど。
適当に相槌を打ちながら話に耳を傾ける。
「私、夢があるんですけど・・・、お母さん達は良い大学行け、って言うばかりで話聞いてくれなくて」
「夢って?」
「・・・イラストレーターです」
「・・・・・・」
アーティストの類か。大変だな、こりゃ。と自分の事を棚に上げて思う。
すると、彼女はそれまで穏やかだった様子を一変させて拳を握ると、顔を悔しそうに歪めた。
「今までも絵なんか描いてる暇があったら勉強しろ、ってずっと言われてて」
「オイ・・・」
泣きそうな横顔に、少し焦る。
「だけどこっそり描き溜めてたんですよ!それを、今日塾から帰ったら、全部捨てたとか・・・!!」
突然の大声に、思わず身を僅かに引いた。
「何言っても聞こうとしないんです。だから、家出てきたんですよ!」
一つ、強く足を鳴らした彼女の言葉に、俺は唖然とする。
「なに、じゃあ、お前家出人なの?」
「・・・・・・。本当に頭にきたんで・・・そのまま飛び出しちゃっただけです」
家出するつもりはなかった、と彼女は呟くように言った。
「ならいいけど・・・。さすがに親も心配するぜ、早く帰った方がいいよ」
「・・・もう電車ないですよ」
「は?お前どこに住んでんの?」
聞けば最寄り駅から九つ離れている駅名が出てきて、俺は眉を寄せた。
無我夢中で飛び出してきて、帰る事なんか考えていなかったそうだ。
「まぁ、若いうちだよなぁ、そういう事出来んの」
「・・・・・・」
「そんなに絵、好きなの?」
「・・・はい。描いてる間って凄く楽しくて気持ちが良いんですよ」
少し微笑む彼女に、俺も喉を鳴らす。
その気持ちはよく分かる。と心の中で呟いた。

「なぁ携帯、持ってるか?」
よいしょ、と立ち上がりながら聞く。
「持ってますよ?親からの電話が煩いんで切ってますけど」
「そう、じゃあちゃんと連絡したら、今日俺んち泊めてやるよ」
「え?」
驚いて見開かれたその瞳に不敵に笑って見せながら、缶を傾けて飲み干した。
くはぁ、と息を吐いて、見下ろすと戸惑ったような顔。
「え、あの・・・」
「別に襲ったりしねぇから安心しろって」
「でも・・・」
「つっても、まぁ初対面の男に言われたって信じらんねぇよなぁ・・・。嫌なら普通にタクシー乗り場とか案内するぜ?」
「・・・・・・なんで、初対面の私にそんな事してくれるんですか?」
「お前、今一時よ?下手したら職務質問に捕まんぞ。それに女子高生放っておくわけにいかねぇっしょが」
本当に単純に、どこかの不良娘ってわけじゃないから、悪い奴らに引っかかるのは可哀想だと思っただけで。
それでも(当たり前だけど)彼女は決めかねているようだったので、俺は髪を掻きながら言ってやる。
「あー・・・俺は村上てつや。俺がなんかアンタにしたら訴えればいいよ」
住所も電話番号も教えるわよ、と笑うと彼女はようやく少し信用してくれたようで笑みを浮かべてくれた。
俺は手の中の空になった缶を見て、顔を上げツツジの向こうを見据えて。
「どうする・・・よっ!」
言いながらまた投げた。

缶はさっきよりも大きく円を描いて宙を飛ぶ。
追って見上げた先に、だだっ広い空を切り取ったような白い白いお月様。
眩しくて目を細めて、缶の行方を睨む。

コーン、カッ。

音の響きがさっきとは全く違って、思わず彼女と顔を見合わせる。
「うそ・・・」
彼女の口から漏れた言葉は自分も思った事で。
「見てみようぜッ」
咄嗟に確認してみようと地面を蹴って、ゴミ箱へと走った。
後ろから慌てて立ち上がった彼女も追いかけてくる。
ゴミ箱にいち早く辿り着いて俺は祈るようにカゴの中を覗いた。
「どうですか」
後ろからの声に、俺はカゴから先ほど飲んでいたチューハイの空き缶を示して見せた。
少し息を弾ませているお互い。
視線を闇に暗い辺りに移せばその前に投げた炭酸の空き缶はてんで的外れのところに転がっている。
彼女もそれに気づいて、そちらへと足を運ぶと律儀に拾ってゴミ箱までやってくる。
「もう一度名前聞いていいですか?」
缶をゴミ箱へ落とした。
カラン、と缶同士がぶつかる音がする。
「村上てつや、28歳独身。スレンダーな彼女が居るよ」
「・・・そこまで聞いてませんよ」
「俺にはそういう気はないのよ、って意思表示じゃない」
「あれ、彼女居るのにいいんですか?見知らぬ私なんか連れ込んで」
「やましい気持ちないんだからいいの。・・・・・・アンタ名前は?」
「・・・です」
「そう、じゃあ、でいいか?」
いいですけど、とが言ったのに一つ頷く。

「じゃ、いこうか」

ゴミ箱の中の缶チューハイ。
見上げて白い丸い月。
ピンスポットのように突き刺す白い光。
それは嘲笑するような光じゃなく、ステージ上で俺を照らすライト。
だって、缶は投げて入ったんだから。

何か良い事が起きるはず。
まだ諦めなくていいはず。








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