Bond 【絆か枷か】



「この瞬間を、大事な貴方と」
当時のパンフレットの謳い文句はそんな感じだったと思う。
ツアーのため泊まるホテルの名前を聞いて、懐かしい記憶が疼いていた。
満点の星空を売りにしたホテル。
見に行こう、と誘ったら二つ返事で了承が返ってきた。
その年は流星群が見られるとあってとても期待をして行ったんだ。


「……今日は見られそうだね」
バス内で呟くと前の席に座る黒ぽんが振り返った。
「なにが見れるの?」
「星。今日のホテル、星空が綺麗だって評判なところなんだよ」
へぇ、と窓を覗いて晴天を確認する黒ぽん。
すると話を聞いていたらしいヤスが後ろから声を掛けてきた。
「なに、北山行ったことあるの?」
その声はからかいを含んでいて、ロマンティックだねぇ、と笑う。
星空が好きなのは事実なので、否定も出来ない。
「行ったには行ったんだけど……台風がぶつかって見られなかったんだよねぇ」
「あーそりゃ残念だったね」


残念だったね。
彼女も窓に叩きつけられる雨を眺めながらそう苦笑した。
折角の流星群だったのに、と。
「仕方ないね。また次来ようよ」
そう互いに頷いて、次の約束をした。
けれど結局その誓いは果たされることはなかった。


「北山」
呼ばれて目を開けると、もうホテルに着いていた。
いつの間にか眠っていたらしい。
「大丈夫か?」
荷物を持って降りようとしているてっちゃんが怪訝な顔をしている。
目をこすりながら、何が?と聞けばさらに目を細める。
「……いや、大丈夫ならいいんだけど」
ジッと覗きこまれた後、ふいと先に降りて行ってしまう。
なんだろう、首を傾げつつも荷物をまとめて自分も後を追った。

ホテルの雰囲気は記憶の中とそれほど変わってはいなかった。
ロビーで待ちながら、貼ってある流星群観察のポスターで話が沸く。
前の流星群とは違うものだけれどこのホテルで見られるのか、と少なからず気分が高揚した。
「今日はこのままずっと晴れるみたいよ」
携帯端末をいじりながらユージが笑顔を見せる。
それは良い事を聞いたと、観察テラスの開放時間をチェック。
打ち合わせがあるので、時間に間に合うかは微妙なところがけれど。


ずっと小骨が喉に引っかかるような疼き方をしていた。
台風の夜や、似たような構造のホテルに泊まる度に突きつけられる。
果たせなかった約束と共に、果たす事の出来ない現実。
自分の未熟さと愚かさを呪っても全て遅い。
まさに、理不尽な別れは言い訳を拒んでいた。
彼女と会った最後の日も雨が降っていた気がする。
なぜかずっと雨の中泣いている印象しかない。笑顔だって覚えているはずなのに。


星空観測へのワクワク感とは裏腹に、記憶はずっと雨模様になっていた。
夕方から始まった打ち合わせの時も、どこかジリジリとした焦燥感があって。
度々てっちゃんに注意をされてしまう。
「ストップ。ダメだ、今日はここまでにしよう」
自分のせいかと顔を歪めたが、そうではないとすぐに思い至った。
端に座っていたユージがぐったりと身体を伏せている。
「すんません……」
昼までは全く持って元気そのものだったのに、その顔色はとても芳しくない。
寒いのかしきりに腕を抱えていて、スタッフが心配そうに世話を焼く。
その様子に眉間に皺を寄せ、嘆息するてっちゃん。
「とりあえず、酒井は俺が送っていくわ。黒沢手伝って」
病院行きますか? というスタッフの問いかけにも何故かてっちゃんが手を振った。
「大丈夫だ、寝かせておけば。明日には治ってる」
言いながら、あとを俺達に任せてホテルへと戻って行ってしまった。
「本当に大丈夫なのかねぇ?」
そう苦笑交じりに漏らしたヤスに、酷く同感だった。

片付けだけ、と言っても自分で出来る調整だけはやっておこうと身体を動かす。
「いいとこにしないと酒井さんみたいになるよ」
そう言って帰ったヤスに手を振ってさらに没頭。
しばらくして気づいた時には時計の針は大分進んでいた。
しまった、と慌てて片付けをしてホテルに戻るが、観測イベントの時間はとっくに過ぎてしまっている。
階を上がり観測テラスまで行ってみるものの、当然のようにひと気はなくなっていて従業員でさえ居ない。
天体観測の時間は終了しました、と丁寧にもガラスドアの前に立札が置かれている。
「あー……」
息を整えながら首を掻いた。
遅かったか。
嘆息する気持ちで広く暗いテラスへ目をやる。
「……ん?」
テラスの手すり際に人影を見つけた。
灯りらしい灯りもないせいか唐突に現れたように見えたその人影に少し驚く。
外に出ている人が居るという事は……恐る恐るガラスドアを押してみると簡単に開く事が出来た。
ヒュッと吹き抜けた風が冷たく気持ちいい。
ドアの開閉音に気付いたのか、その人――女性だった――はこちらへ振り返った。
「あ……」
「え……」
驚きに目を見開いた。
まるで幽霊でも見るかのような衝撃が全身を駆け巡る。
あの夜の約束を果たせれば、自分の中で一区切りがつくと思っていた。
ただそれは勝手な自己満足に過ぎない事も理解していた。
そのはずだったのに。
「陽一?」
彼女は記憶と変わらぬ姿で窺うように首を傾ける。
取り繕うように笑みを浮かべてみたが、ぎこちないものになってしまったのが自分でも分かった。
……」
「久しぶりね」
「……うん……久しぶり」
動揺していて上手く言葉が続かない。
それを察したは少し微笑んだ。
あぁ、その笑顔を何度見たいと願ったのだろう。
いつだって俺の考察や説明を笑って静かに聞いてくれた彼女。
もう一度、と思っていた事が目の前に実現している。
それなのにどうして泣き顔ばかりが重なるのか。
「約束、覚えてる?」
彼女の唇から漏れる言葉をしっかりと見つめる。
「……覚えてるよ。はそのために来たの?」
息を吐いて答える。今度はちゃんと笑えた。
俺からの問いには、僅かに視線を泳がせてコクリと頷いてみせた。
そう、と思わず目線を下げる。
彼女が背を向けて手すりにもたれ掛かる。
「今回のツアー先にここの地名があって、もしかしたら、って思った」
静かで柔らかい声色。
その落ち着いた高さが遠い記憶をじわりと滲ませてくれる。
「ホテルのポスターを見て、余計に二人の約束を思い出した」
「あぁ……」
「でも正直来るとは思ってなかったけど……本当に会えるなんて……」
「俺も、同じ事を思ったよ」
日程表が出て、地名を見てホテル名を見てポスターを思い出して。
同じ状況で同じ事を思った。
その事がとても言いようのないくらい嬉しかった。
それと同時に酷く悲しかった。

「……ずっとここに居たんだね」
言うと、が振り返る。
「俺との約束が、君をずっとこのホテルに繋いでたんだね」
吐き出す息が熱く、声が震える。
笑顔を履いてみても、歪んでしまう。
彼女は全てを分かっているようで、少し困った顔をして笑った。
「やっぱり……」
その笑顔の肯定で全部理解した、と思った。

「やっぱり、じゃねーよ」

予想外の声がして、驚いて声の方向を見る。
ガラスドアに不機嫌そうな苦い顔をしたてっちゃんが立っていた。
「てっちゃん?」
「北山ぁ、全然大丈夫じゃねーじゃんか」
何故か本当に不機嫌なようで、口調が通常よりぶっきらぼうになっている。
ずんずん、と近づいてきてこれでもかとばかりに大きなため息を吐いてみせた。
「彼女じゃあない。お前だよ」
「え?」
「彼女が未練あって残ってるんじゃない。お前の未練が彼女を繋ぎ止めてるんだ」
細い目で俺を睨みつけ、低い声で言う。
理解の範疇を超え、反射的にの方を振り向くと彼女も困ったような顔をしていた。
「……俺が繋ぎ止めてる?」
「…………」
呟くように疑問を漏らせば、は視線を外した。
「さっき彼女が言った事は、彼女自身の言葉じゃない。北山が思った事だろ」
俺も、同じ事を思ったよ。
つい先程零した自分の言葉が思い出される。
「お前が約束とやらを考えれば考えるほど、彼女はずっとここに縛られてた」
「……」
愕然とした。
自分がそこまで約束に囚われていた事に。
そしてそれのせいで彼女を捕えていた事に。
「分かってると思うけど北山。お前のソレはただの枷だ」
「枷……。俺が」
絞り出した言葉に、てっちゃんが少し表情を変える。
厳しいものから、苦々しいものに。
頭を掻いて、舌打ちをする。どう対処しようか困った時の彼の癖だ。

「陽一」
名前を呼ばれた。
再び聞きたいと思い馳せた声が、俺の名前を。
躊躇いながら声の主に目を移す。
酷い顔をしていると思う俺を見て、また静かな笑みを浮かべた。
「約束を覚えていてくれてありがとう」
「……ッ」
「貴方から貰った最後のメールの返信、出来なかったから」
途端、彼女の笑顔がぼやけた。
それが自分の涙とも知らずに、消えてしまうのだと思い咄嗟に手を伸ばした。
掴んだ腕はすり抜ける事なく、そのまま引き寄せれば俺の腕に収まってしまう。
「ごめん、俺……本当に」
互いに忙しいとは言え、ずるずると約束を伸ばしていたのは俺だった。
どうにか折り合いを付け、誘いのメールをしたものの、その返信は永遠に来ない。
その事で悔やむのは自業自得だ。
それなのに、そんな自分勝手な想いでさえ彼女を巻き込んでいた!
込み上げてくる嗚咽、心臓が痛い。
抱きしめた腕に力を込め、溢れる謝罪の言葉を零し続ける。
そっと背中に回された手が、トントンとあやすように叩いた。
「繋ぎ止められた事は枷なのかもしれないけど……」
耳元で聞こえてくる声は優しい。
「今夜、陽一とこの星空を見れた事」
一言一言発する度、急激にその輪郭を失い始めた。
強く抱きしめる腕が空を切るのが解る。

「私は、絆だと思うよ」

白い、糸のようなもやが空へ消えていく。
追って見上げた夜空に、一筋の流星が光った。

「絆、ねぇ。超がつくほど良い女だな」
涙を拭いていると、星空を見上げながらてっちゃんが笑った。
「そりゃ、お前が執着するわ」
「……てっちゃん」
「……ま、これで酒井も明日大丈夫だろうよ」
ユージ? と疑問の目で見返すとパタパタと手を振られた。
「アイツ、霊障に弱いから」
「え? どういう?」
「お前が彼女に触れたって事は、向こうも生身の人間に障れるって事だからな」
「……」
低い声が優しさを含ませていて、なんだか余計に申し訳なくなる。
「そんな顔すんなって。もう逝けたんだ」
「でも」
「お前に出来る事は謝る事じゃないよ」
頭をくしゃりとされ、遮られる。
「解ってるだろ」
そうニヤリと笑い、じゃあ、と言い残すと建物へと戻って行った。

心地良い風が吹く、一人残された観測テラス。
ガラスドアを潜るリーダーの後ろ姿を見つめながら、思いを巡らせる。
十年以上一緒に居て、こんなにもあの人を不思議だと思った事はない。
黒ぽんは知っているんだろうか。ヤスは?
たまに変なタイミングで具合の悪くなるユージを見たけれど、それは。
「解ってるだろ」
不敵な笑みと、鋭い目つき。
その中に感じた信用に、今度はきちんと応えよう。
上を向き、都会よりも沢山見える星空。
「ずっと……が好きだった」

「新しく愛する人が出来ても、それだけは変わらないよ」

呟きに応えるように、枷の外れた流れ星が一筋煌めいた。
「……ッ」
再び込み上げる嗚咽を漏らすと、もう一筋。

流星群。
どうか、どうか彼女が安らかに眠りにつけますように。
どうか。願いを、叶えて。





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曖昧なお題「絆か枷か【Bond】」
北山さんが星空の下で泣く話をずっと書きたかったので書けてよかったです。
北山さんが悩める王子で、村上さんが達観した導き手で、酒井さんが不憫な子という立ち位置。