BIRTHDAYS


「ハッピーバースデー三人!」
三人並べられて掛けられた先輩後輩の祝いの言葉に三人で笑い返す。
「なんで私の誕生日にやるんだろう」
「俺と黒沢の誕生日の真ん中辺りで丁度いいからじゃね?」
「あー。本当だ。の誕生日俺とテツの間だね。丁度いいねー」
お金のない大学生。サークル内での誕生日は月ごとにまとめて適当に祝われる。
個人で祝う事もあるが、先輩後輩へはサークル柄歌を歌って盛り上がる事が多い。
四月生まれは珍しく同学年に三人で上旬中旬下旬とバラバラだっため、中旬にある私の誕生日に祝いを合わせたようだ。
「なんだ。人徳かと思ったのに」
ふざけて口にすれば、隣りで二人が笑う。
「まぁ俺や村上よりはあるかもしれないけどなぁ」
「アホか、本当に人徳のある奴は自分で人徳とか言わねーって」
三人でクスクスと笑っていると後輩の酒井が手を振って注意を引く。
主賓が口を噤むのを確認するとカウントを取り、音を紡ぎ始めた。
好き好きにアレンジされた若干はじけたハッピーバースデー。
上手い下手関係なく、楽しげな雰囲気に祝われる方も体を揺らしてリズムを刻む。
適当な隙間を見つければ入ってみたりして、そんな賑やかで緩やかな誕生祝いの風景だった。

何故かそれが毎年の恒例になって、十年以上が経った。



カタカタとキーボードを叩きパソコンに向かっていた。
タン、とキーを大きく叩くと、ひとまずの区切りをつけて見直す。
ふと画面右下の時刻が20時を告げている事に気づき、溜息を吐いた。
「あと一息、か」
ここまで忙しくなる予定はなかったのだが、寸前になって手違いが見つかり早急に手直しが求められて今の状態になった。
それでも手違い発見当初よりは大分見通しも立ち、今日中には終われそうである。
安堵した息を落としてチラリと卓上カレンダーに目をやり、自分の誕生日を確認する。
誕生日を一人で過ごすのは本当に久しぶりだ。
机の脇に置いてある携帯を見ながらそう思った。


「俺達週末から作業合宿で東京に居ないよ」
そう薫から電話が入ったのは手違いが分かった日の夜だった。
「そうなの?」
「うん。どう、来れそう? 仕事早く終わるって言ってたよね?」
「うーん……無理そう」
実は、と状況を話せば少なからずがっかりした風な様子が伝わってくる。
「そっかー…。それじゃあ来るわけにもいかないよなぁ」
「薫達帰ってくるのいつ?」
「15日。俺達が抜け出すわけにも行かないし…うーん」
作業合宿といえど仕事なのだから、さぼらせるわけにはいかない。
「じゃあ、帰ってきて空いた日にしよう。テツの誕生日合わせでもいいし」
「まぁ…しょうがないんだけどさ」
「十年以上も私の誕生日に三人が集まれた方が凄かったんだよ」
「大学からだもんなぁ、長いよなぁ」
「長いよねぇ。じゃあ、まぁもしめどが立ったら連絡するよ」
「分かった。体に気をつけて」
「そっちも。あ、テツにロマンティックサプライズいらないから仕事しろって釘刺しておいて」
言うと薫は電話越しに噴き出して、分かった、と了解した。


年を重ねるに連れ誕生日が特別な事ではなくなっていた。
誕生日がくれば嫌でも年を取ってしまうから。
それでも、同じ四月生まれ組の彼らと誕生日を過ごす事は、いつまでも特別に感じていた。
私に彼氏が居た時は当日の夜は彼のために空けておいて、薫とテツとは前日から集まり日付が変わってからさらに飲み明かした。
そんな馬鹿な事を思い出し一人で軽く笑うと、じわりと残念だと思う気持ちが滲んだ。
電話やメールではなく、彼らから直接おめでとうを聞く日で、私も二人に直接おめでとうと言う日。
「仕方ないよね……」
互いに仕事をやっていれば日程が合わないのは当然の事。
十年以上も続いたのが本当に奇跡だったのだ。
すっかり冷めたコーヒーに口をつけながら、大きく溜息をついた。
「うん、仕方ない」
納得させるように呟いた。
残念がっていても仕事は終わらず、遅くなってしまうだけだ。
ちゃっちゃと終わらせてテツか薫に愚痴の電話を入れてやろう。
そう意気込んでキーボードに手を置いた瞬間、机の端の携帯が振動した。
「うわ、びっくりした」
同僚も帰っており静まり返った部屋にバイブ音はよく響く。
着信を見てみれば後で電話をしてやろうと思っていた相手だった。
「もしもし。薫?」
「うん。まだ会社?」
「そうだよ」
「うわー本当にお疲れ様。今時間大丈夫?」
「大丈夫だけど」
「よし。大丈夫だって」
電話向こうの誰かに言って、すぐにまた声が近くなる。
「しばらくそのままでね」
「なに?」
訝っていると、ワン、トゥーとカウントを取る声が聞こえ、そして。
十年以上聞き続けた“Happy Birthday to You”。
きっと携帯を真ん中にして輪になって歌っているんだと想像が出来た。
唖然とした気持ちから、少しずつ笑みが零れる。
聴き心地のよいハーモニーは、さすがとしか言いようがない。
贅沢な数十秒を堪能すると、また携帯の主の声がした。
「聴こえた?」
「聴いた。ありがとう、頑張れる気分になったよ」
「よかった。あ、テツに代わるね」
「うん」
少し間を置いて、もしもし、とテツの声。
「これくらいのロマンティックサプライズならいいだろ?」
ニヤニヤした風で言われ、さらに後ろで笑い声が上がるのも聞こえた。
つられて私も笑ってしまう。
「仕事はちゃんとしてるの?」
「ばっ、ちゃんとしてるっつーの! ありがとうぐらい言えよお前!」
「うそうそ。ありがとう、凄く嬉しいよ」
「よし、素直が一番よ」
「ヤス達にもお礼を言っといて」
「おうよ」
「……ごめんね。本当なら行けたはずなのに」
私だけじゃなく、薫もテツも少なからずこの日を過ごす事に意味を感じているだろうから。
電話越しに鼻で笑われる。
「お前のせいじゃないだろ」
「そうだけど……」
「まぁ、確かに……ずっと続いてたのにっつー残念さみたいなモンはあるけど」
わざと軽い言葉を選んでいる、そんなテツの表情が目に浮かぶ。
細い目を伏せて、自嘲のように笑う。
それを見てきっと薫は大きな目を細めて微笑んでいるのだ。
「ま。しゃーない」
気を取り直して元の調子に戻る声。
、お前こそちゃんと仕事しろよ」
軽口に仲間達が笑っている。
「うん、ありがと」
最後に薫に代わり、彼にもお礼を言った。
「いや、俺達が当日に言いたかっただけだから、おめでとうって」
「贅沢な感じがしたよ」
「そう? 俺達の歌なんてよく聴いてるじゃない」
「電話越しだとなんかゴスペラーズが歌ってくれてる、っていう贅沢感があったのよ」
「あはは、そっか。でもまぁ……本当は直接言いたかったんだけどね」
「……」
「あ、あんま喋ってるとの帰りが遅くなっちゃうよなぁ?」
「あーそうだね。本当にありがとう」
「ううん、帰り道と体に気をつけてな」
電話を折りたたむとパソコンの起動音だけが響いた。
やっぱり、今日を特別な日だと思っていたのは自分だけじゃなかったみたいだ。
パソコンの時刻を見て、ひとつ深い溜息を吐いた。
もう20時を過ぎているけれど、あと一息で仕事は終わる。
「よし、やっちゃおう」
気合を入れなおし、パソコンに向かった。




に電話をした後、再びそれぞれの作業に戻った。
夕食後の満腹感で完全にだらけているヤツも居れば、真面目にやってるヤツも居る。
具体的には前者は安岡で、後者は北山。酒井はそれを行き来してる。
俺は当然後者だが、今は休憩中。
一人ベランダへ出て少し涼しい風に吹かれていた。
避暑にも使われる山の中のロッジハウスが置かれているキャンプ場。
食事は当番制でスタッフもゴスペラーズも関係なく作っている。
仕事と言うより、サークル合宿に感覚は近かった。
「あー…すずしー」
合宿の場所を恨んだのは初めてだった。
関東と言えどの居る東京とは少し距離がある合宿場所。
せめて東京での仕事だったらよかったのに、と思ってしまう自分が居た。
30過ぎの良い大人の考えとは思えない、と苦笑が漏れた。
「もうちょっと東京に近かったらよかったよなぁー」
聞き慣れた声が後ろから聞こえて、振り返る。
自分が思わず呟いたのかと思うほどのタイミングに、ベランダへと出てくる黒沢を見て笑った。
「だよなー」
「そしたら俺達が行けたし、も来れたかもしれないのに」
「そーそー、ってなに持ってんの」
「あ、デザート出来たよ。中で酒井達が食べてる」
「お。なに?」
「プリン。カラメルが上手くいったと思う」
言って差し出されたカップとスプーンを受け取る。
「さんきゅー」
早速スプーンですくって一口食べてみる。
コンビニの甘すぎるプリントは違って、牛乳の匂いも残っていて美味しい。
美味い、と感想を述べると黒沢は得意げに笑って見せた。
「黒ぽーん、すごく美味しいよー」
部屋の中から安岡の暢気な声が聞こえる。
「それはよかった」
「安岡ぁ、お前それ食ったら仕事しろよ?」
「はーい、頑張りまーす」
睨みを利かせてもどこ吹く風と調子の良い返事だけで、引っ込んでしまった。
まったく、と溜息をついていると横で黒沢が携帯を見ながら呟いた。
「三十分切ったなぁ」
なんのことだ? とわざとらしくスプーンをくわえながら黒沢を見る。
「もうすぐで明日になるよ」
「そうだな」
から電話きた? まさかまだ仕事してるわけじゃないよなぁ」
「さすがに終わってるだろ。大方同僚と飲んでるんじゃね?」
「そっかー」
それならいいけど、とどこか寂しげな笑みを浮かべる黒沢。
本当に嘘がつけない男だと思う。
仕事が終わったら即行で電話が掛かってくると思っていたのだ。
疲れた、最悪、なんて愚痴を言われると思っていたのだ。
かくいう俺もそう期待していた。
今日はの誕生日だから。
俺ら三人で過ごす日だから。
誕生日に残業なんて可哀想だなと笑ってやる気満々だったのに。
それなのに、電話は掛かってこないしメールもこない。
にとってはそれだけの日だったって事だろうか。
「黒沢君」
「え、なに?」
「プリン、とってもおいしーです」
言ってまたプリンを食べる。
本当に美味い。これを食べられないは可哀想だ。
黒沢がゆっくりと瞬きをして、理解したように笑った。
「そう、それはよかった」
「うん」
二人で暗い景色に目をやった。
部屋の中から漏れる賑やかさとは正反対に外は静かに、木の揺れる音しかしない。
そう思っていたら、無粋なエンジン音が耳に入った。
「ん? 車?」
「誰かが買出しから戻ってきたんじゃない?」
ジャリジャリと砂利道をタイヤが通る音。ライトが駐車場で動いている。
誰だろうと、目を凝らして停まった車を睨んでいると、黒沢が不思議そうな声を出した。
「あれ、あれって……」
「誰? 伊藤?」
「いや、え」
「よく見えないんだけど」
黒沢は車種で誰か分かったらしい。俺はさらに目を凝らす。
バタン、と扉を閉める音が響いて、出てきた影を見た。
「あ?」
「うわぁ」
駐車場を突っ切ってくる人物を信じられない気持ちでマジマジと見ていたら、そいつがこちらに気付いた。
「しんじらんねー……」
俺は力なく呟く。
そこにはたった今話題にしていた、ここからは少し遠い東京に居るはずの。
「テツ! 薫!」
俺達の居るベランダ傍までやってきて、大きく手を振るの姿。
仕事が詰まっていて疲れているだろうに、その顔には溢れんばかりの笑顔と、確実な“したり顔”があった。

「誕生日おめでとー!」

深夜を気にせず叫ぶその祝いの言葉に耐え切れず噴き出す。
隣りで黒沢も手を叩いて笑っている。
アホだ、アホが居る。
「アホだろお前!」
指を差して涙が出るほどに笑い声を上げる俺。
失礼ねぇ、と口を尖らせるに対して黒沢が上がってくるように指示をする。
部屋からは俺達の爆笑に何事かとメンバーもスタッフも顔を覗かせていた。
「なに?」
「アホが来た」
「は?」
怪訝そうにする安岡に俺はニヤニヤとした笑みが止まらず。
が来たんだ」
黒沢が説明するも安岡達はさらに変な顔をする。何を言ってるの?なんて顔。
「こんばんは。夜分遅くにごめんねー」
が姿を現した途端に、安岡達があんぐりと口を開けた。
「え、どうしたのさん。今日仕事だったんじゃあ……」
「仕事だったよ、超仕事だった。本当にオーバーするほどのワークでした」
俺達と同じで変にテンションが上がっているらしいが疲れたとジェスチャー付きで示してみせる。
言うべき言葉が見つからない風の安岡達を放って、俺はに笑みを向ける。
「で? なにしに来たのよ?」
は、分かってる癖に、と一息落とすとこれでもかとばかりに胸を張って笑顔を見せた。
「おめでとうと言いに来たのよ」
やっぱり。
「お前アホだわ」
口にする言葉はそんなのしか出てこないけれど、頬が緩むのを抑えられない。
俺だけじゃなく、黒沢だけじゃなく、も今日を特別と感じていた事に嬉しさを安堵を感じていた。
それを分かっているのだろう、黒沢がクスクスと笑う。
「アホは酷いよテツ。せっかく来てくれたのに」
「そうよ、仕事終わらせて即行で高速乗ったんだからね」
「あのー……」
遠慮がちに折り目正しく挙手をする酒井にが向く。
「はい、酒井君」
さんはそれを言うためだけに来たのでありますか?」
「その答えには是と答えようではないか酒井君。村上君と黒沢君はとても良い友達を持ったと思わないかね?」
「何キャラだよ」
俺が小さくツッコめば、楽しげに笑い。
酒井達は関心と呆れを混ぜたような顔をしていた。
「俺、こんな事されたら惚れるね」
「僕も僕も」
北山と安岡が口々に言って、は気を良くしているようだった。
教室のドアに黒板消し、なんていう古臭い悪戯を大成功させたような満足そうな顔。
「酒井君は?」
「はぁ、どうでしょうねぇ?」
「そこは嘘でも惚れるって言っておけば女の子は喜ぶのに」
「女の子って年かよ……」
「オイ、テツ! それは言っちゃダメ!」
「お前散々俺の事おじさんとか言ってるじゃねーかよ!」
「それはそれ! これはこれ!」
「べっこにすんな! 一緒だろ!?」
「一緒にしないで! べっこよ!」

「いやー」
ロマンティックの頭文字すらない言い合いに、のほほんとした声が割って入る。
このやり取りも大学の時から変わらない。
俺らの口論に水を差せるのは四月組の残り一人だけだ。
「でもホント、俺惚れ直しちゃったよ」
そう言いながら黒沢がいつの間にやらカップを手にしていた。
さっきまで俺達が食していたカップと同じ型のやつ。
わざわざ冷蔵庫から冷えているやつを持ってきたらしい。
「薫は素直でよろしい。あれ、何持ってるの?」
「プリン。バースデーケーキじゃなくて悪いけど、俺の手作りだから」
「出た。本当にサークルとやってること変わらないのね」
懐かしむような呆れたような、そんな笑顔。
「召し上がれ」
「いただきまーす」
カップとスプーンを受け取ってがそれを頬張る。
「美味しい…!」
そう感想を零すを横目に、俺は元サークルメンバーを手招く。
理解したように近寄ってくる辺り、さすが今でもグループを組んでいるだけはない。
カウントを取り、息を吸う。

特別な今日が終わる前に。
恒例のハッピーバースデーを。






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年長バースデー話……です?